☆Tao☆疑似シナリオ小説
冥き蒼のエイル
自分探しの旅をする者・ユイシィ・エアレングス(a29624)




 ●プロローグ
 とある山間部に盗賊のねぐらがある。
 元々は何もない洞窟だったのだが、盗賊たちは「寝起きするにはちょうどいい」と、そこへ住み着いてしまった。
 山の中の街道を通る旅人や商人たちを襲い、金品や食料などを奪ってはねぐらに持ち帰って好き放題やっている―――そんなどこにでもいるような連中だ。
 今日も今日とてひと仕事終え、収穫のよさに機嫌をよくした盗賊たちは宴会になだれ込み、ひと騒ぎし始めた。
 奪ったお宝を放り上げ、桜吹雪のように降らせながら酒を呑み、奇声を上げて楽しくやって。宴もたけなわとなってきた頃。
 突如、入口のほうから絶叫が轟いた。
 最初、盗賊たちは「空耳か?」と疑ったが…続けて聞こえたもうひとつの絶叫に、先程の絶叫が空耳ではないことを確信させる。
 楽しい宴席に不躾な音を持ち込んだ奴を黙らせようと、酒の入ったカップを置き、手に各々の武器を持った盗賊たちは入口へと駆け出していく。
 紅い月が浮かぶ夜の空。ねぐらから出てきた盗賊たちが目にしたのは、巨大な両手剣を手にしたひとりの少年だった。
 年の頃は二十歳前くらいだろうか。青い髪はざんばらで、濁った青い目は一瞥したものを射殺すかのような虚無を宿らせている。背丈はランドアースの成人男性の平均よりも少し低いくらいで…少年の足元には、見張りに立っていたはずの盗賊たちの仲間ふたりが腹や胸から大量に血を流し、首や手足をあらぬ方向に折り曲げて倒れていた。
「ジェイク! ゴンド!」
 盗賊のひとりが悲鳴に近い声を上げる。
 叫んだ言葉は倒れた仲間の名前だったのだろうが―――倒れた彼らに、最早命の火は灯ってはいなかった。
 盗賊たちの中でもひと際丈夫そうな防具を身につけた男――おそらくこいつが頭だろう――が、怒りに震えながら声を荒げ、おのれの衣服を返り血で濡らした少年に武器を突き付ける。
「誰だお前!」
 盗賊の問いかけにおののきもせず、少年は口の端を持ち上げ、嘲るように呟く。
「やっと出てきたか…遅いじゃないか」
「勝手に喋ってんじゃねえ! 誰だって聞いてんだ!」
「誰だっていいだろ? それより…お前らに聞きたいことがあるんだ」
 盗賊たちに向き直る少年に、しかし盗賊の頭は馬鹿にしたように鼻で笑うと、
「聞きたいことだあ? 仲間を殺(や)られて素直に答えるバカがどこにいる?! どこのガキだか知らねえが、俺たちのねぐらにひとりで乗り込んできたのが運のツキだ。野郎ども、やっちまえっ!」
「おう!」
 盗賊たちが一斉に少年に襲いかかる。
 多勢に無勢、このままでは危ない―――かと思いきや。
 少年はニヤリと嗤うと、片手で剣を一閃する。
 おそらく……何が起こったか、盗賊たちには判らなかっただろう。
 剣を一閃してしばし。盗賊たちは皆、喉から一斉に血を噴き出して絶命していたのだから。
「ば、バカな…馬鹿なっ!」
 盗賊の頭が後ずさる。
 こんなはずじゃない…自分たちがねぐらにやってきた生意気なガキを葬り去るはずだったのに。
 まるで悪夢でも見ているかのような目で見、腰を抜かしたらしい盗賊の頭に、少年はちらりと一瞥すると、盗賊たちの返り血でさらに紅く染まったなりでゆっくりと歩み寄ってくる。
「さて…僕の質問に答えるのと、こいつらと同じ末路を辿るの、どっちがいい?」
 自然体で手を広げ、肩をすくめてみせる少年を前に、盗賊の頭には『逆らう』という選択肢はなかった。怯えたまなざしで後ずさって答える。
「わ…わかった! 答える! お前の質問に答えればいいんだろっ?!」
「初めからそう言えばいいんだ。じゃあ聞くけど…お前、シオン・ライジングって奴を知ってるか?」
 少年の口から出た名に、盗賊の頭は初め、首をしきりにひねっていたが、やがて思い当たったらしく。
「あ…ああ、知ってる。このあたりじゃあ変わり者で有名な奴だ。何でも、☆Tao☆って旅団に入ってるって話らしい。ここからだと、歩いて半日もしないでいける。旅団は森の中にあるって話だが、その近くの町に行きゃ、場所ぐらいはすぐ判る!」
「そうか…ありがとう、もうお前に用はないよ」
 そう言って、少年は再び剣を一閃する。それと同時に撥ね飛ぶ盗賊の頭の首。
 飛ばされた盗賊の首は地面を転がり静止すると、恐怖で表情が歪み切ったまま、何も映さぬ目で虚空を見つめていた。
 一方、少年は何事もなかったかのように剣についた血糊を振り払うと、胸元に手を突っ込み、服の下から何かを取り出す。
 取り出されたのは銀のロケットだった。手の平に小さく収まったそれを開いてみると、中にはセピア色の絵が納められており、まだ年若い夫婦と、その子どもらしい赤ん坊が母親に抱かれて写っている。
 少年はその赤ん坊を見て、いとおしそうに呟く。
「兄さん、か…会うのが楽しみだなぁ…!」
 ひとしきりロケットを眺めると、服の下へとしまい、少年は再び歩き出す。
 まだ見ぬ兄がいるであろう、旅団☆Tao☆の本拠地へと向かって―――。











 ●家路
 少し遅咲きだった桜が散り、今年もまた深緑の季節がやってきた。
 この日、蒼の覚醒守護修羅神・シオン(a12390)は朝から酒場の依頼を受けて出かけたのだが、思ったよりも早く片付いたので、愛する妻や仲間たちと昼食を取ろうと、旅団☆Tao☆への家路を急いでいた。
 依頼でもらったお土産をウエストバッグの中にしまい、いつも買い物に行く街の市場を抜け、噴水広場の噴水のふちでまどろむどこかの飼い猫を横目に、石畳の道をどんどん進む。
 雑貨屋の角を曲がったところで、見覚えのある姿が目に入った。
 ドリアッド特有の緑の髪にはクロッカスの花が咲き、女性らしいパステルグリーンのワンピースドレスが、風にふわりと翻る。
 手には大きな診療カバンを抱えており、どこかに往診に行ってきたあとらしい。生活雑貨店や服飾店が立ち並ぶその軒先で、ウインドーショッピングを楽しむドリアッドの女性の、風に乗って聞こえてくる鼻歌が機嫌のよさを物語っている。
 シオンは駆け出すと、そのドリアッドの女性の背中に声をかけた。
「ユウコさん!」
 自分の名を呼ばれ、ドリアッドの女性が振り返る。
 彼女こそ、旅団☆Tao☆の団長であり、このあたりではかなり信頼されている医術士のひとり。深緑の癒し手・ユウコ(a04800)だ。
 駆け寄ってくる青い髪の武人を、ユウコは微笑みながら迎えた。
「あ、シオンおかえりー。ずいぶん早かったんだね」
「ああ、依頼自体が思ったより早く片付いたゆえに」
「そっか。じゃあお昼まだだよね? 今日のお昼はスパゲッティ・ナポリタンだって♪」
「それは楽しみでござるなあ」
 今頃はお皿に盛りつけてる頃じゃないかな、と楽しそうなユウコに、診療カバンは自分が持つことを申し出て、シオンはユウコの診療カバンを片手に下げた。
 そうしてふたりでおしゃべりしながら歩き、もうすぐ☆Tao☆のある森への小道まで来た時だった。遠くから聞こえた何かの音に、シオンがふと足を止める。
「シオン? どうしたの?」
「いや、何か聞こえたような気がしたでござるが…」
 振り返り問うユウコに、シオンは耳を澄ませて周囲を見回した。
 このあたりは人の通りが少ない上、涼しくて静かなので過ごしやすいところだ。周辺にあるドラゴンズ・ゲートは☆Tao☆からはやや離れているので、冒険者とモンスターの戦闘の音が響いてくるということもないし、しばらく聞き耳を立ててみたが、何も変わった音など聞こえてこない。
 気のせいだったのかと思ったその時。

 ……ドーン!

 どこかで何かが炸裂する音が聞こえてきた。
「やはりさっきのは気のせいではなかったでござるな!」
「ちょっと待って。こんな静かなところで炸裂音って…まさか!」
 ユウコの脳裏に嫌な予感が浮かび、顔面蒼白になる。
「とにかく、急いで戻るでござるよ!」
 ふたりは顔を合わせうなずくと、我先にと駆け出した。
 炸裂音のした方向……☆Tao☆のある場所に向かって。


 ●襲撃者
 それは、信じ難い光景だった。
 黒紫蝶・カナト(a00398)が脇腹を押えて膝を折り、藍青覚醒武装戦乙女・シズナ(a35996)は愛剣を杖代わりに地面に突き立て、何とか立ち上がろうとしている。準医術士・スフィア(a61529)に至っては地面に突っ伏したまま、ぴくりとも動かない。
 そう。旅団☆Tao☆の中でも選りすぐりの精鋭たちが何者かに…しかもたったひとりによって襲撃され、なす術もなく制圧されているのだ。
 そして今。
 この光景を作り出したであろう何者かによって自分探しの旅をする者・ユイシィ(a29624)が喉を鷲掴まれ、額から血を滴らせながらその身体を宙に吊り上げられている。
 喉の奥から何かがせり上がってきそうな自分を制するのに精一杯なシオンに代わり、ユウコが声を張り上げる。
「あなた誰?! どうしてこんなことを!?」
 すると、声をかけられた何者かがゆっくりとこちらを振り返った。
 年の頃はユイシィと同じくらいだろうか。ざんばらな青い髪。暗く濁った青い瞳が映すものは虚無。右手には巨大な剣が握られており、背はあまり高くはないが、それでも人を近付けない殺気を放っている。
 襲撃者はフン、と鼻で嗤うと、つまらなそうに言葉を紡ぎ始めた。
「だって、しょうがないじゃないか。こいつら、いくら聞いても兄さんの居場所を吐かないんだから…」
 と、襲撃者はそこまで言って、目を丸くした。そして歪んだ笑みを浮かべ、嬉しそうに呟く。
「…なんだ、そこにいたんだね兄さん?」
 ユウコたちは一瞬、わけが判らなかった。しかし、襲撃者の視線を目で追って…ようやっと気がついた。
 襲撃者の視線の先…そこには信じられない悪夢でも見ているかのような顔で立ち尽くすシオンがいた。
「ずいぶん捜したんだよ? 兄さんが組織からいなくなって、僕が自由になってから…どんなに世界を彷徨い歩いたことか」
 襲撃者の言っていることが理解できないシオンは、自分を奮い立たせるように頭を振ると、未だに最愛の妻を吊り上げている襲撃者を睨み、叫んだ。
「貴様、一体何者だ!? ユイシィから手を離せ! そもそも拙者に兄弟はいないはず…!」
 混乱するシオンに、襲撃者は「ああ、そういえば」と前置きして自らを語り始めた。
「兄さんが知らないのも無理ないよ。兄さんが組織に攫われた当時、僕は母さんのお腹の中にいたんだから」
「母さんの、腹の中、だと…?!」
「そうだよ。兄さんが組織によって父さんたちと引き離された時、僕は母さんのお腹の中で静かに時を待っていた。それから数ヵ月後に僕は生まれたんだ」
 今にもブチ切れて襲いかかっていきそうな傍らの青い髪の剣士を心配し、襲撃者の言葉の隙を縫ってユウコが問いかける。
「シオン、組織って…」
「ああ。幼い頃の拙者と両親を攫った…各地から力を持った一族や子供を攫い集め、その能力を研究していた連中だ。冒険者の風上にも置けない奴等だった」
 シオンが憎悪に奥歯を噛み締める。
 シオンの一家はある犯罪組織のせいで運命を狂わされた。組織さえなければ、幸せに暮らしていたはずなのに…。
 そんなシオンの気持ちを知ってか知らずか、襲撃者はさらに言葉を紡ぐ。
「僕は攫われた中でもまれなケースだったらしくてね。貴重なサンプルとして、生まれてすぐに母さんと引き離された。顔も覚えてないけど、生まれたばかりの僕をその腕で抱いてくれた母さん…あったかかったなあ…!」
 襲撃者は恍惚とした表情のまま、虚空を見つめていたが、すぐにその瞳に憎悪の炎を宿し、声を荒げる。
「…でも、母さんは父さんといっしょに組織に殺された。兄さんのせいでね!」
「!!!」
 シオンの脳裏に、過去の出来事がフラッシュバックする。
 組織は幼いシオンの中に眠る力…冒険者としての力を引き出すために、シオンの目の前で両親を殺して見せた。結果、シオンは怒りと悲しみの中で冒険者の力に目覚めた。自分の非力さに涙しながら、シオンは初めてアビリティを発動させたのだ。
 シオンはその時、冷たい骸となった父のそばで、自分のことなど省みずに、恐怖と喪失感で震える息子の腕を必死に掴み「生きて…」と言ってこと切れた母の顔を、今でも覚えている。
「兄さんが間抜けだったせいで…木偶の坊だったせいで母さんは殺されたんだ。そして組織はそのことを僕に隠したまま、僕をも冒険者に仕立て上げた」
「ちょっと待って。ならなぜシオンのことを知ってるの? あなたの話を聞く限り、あなたはつい最近までシオンのことを知らなかったみたいだけど…?」
 質問を投げかけたユウコが息を呑み、対峙する中、襲撃者は大剣を握りしめたまま、憎々しげに言葉を続ける。
「研究者のひとりが口を滑らせてね。僕に兄さんがいることを知ったのはその時さ。僕はそいつを締め上げていろいろ吐かせた。母さんと父さんが死んだ本当の理由、行方不明になった兄さんのこと、僕を冒険者として育てたわけ…話を聞いて笑ったよ。僕を育てたのは「お前の兄のせいで取り損なったデータを取るため」だってね!」
「拙者の、代わり…?!」
「組織の施設を潰して逃げた『優秀な』兄さんが見つからなかったから、代替品で落ちこぼれの僕を育ててデータを取ったんだってさ。…頭にきたからそいつの頭を吹っ飛ばしてやったよ。もちろん僕を取り押さえようとした他の連中も全員アビリティで、ボン、てね」
「なんて、ことを…!!」
 襲撃者のあまりの言葉に、シオンは言葉を失い、ユウコは口元を押さえて掠れた声を漏らす。
「兄さんは強いんだよね? なら僕が兄さんを殺せば、僕のことを馬鹿にした奴らが間違っていたってことを証明できる」
「バカなこと言わないで! 兄弟で争うなんて…ましてや殺し合うだなんて、そんなこと…!」
 あまりなことにユウコが必死に言おうとした言葉を、シオンの手が制する。
「拙者と戦えば、お前の気が済むんだな…?」
「『戦えば』じゃないよ。『殺せば』だよ、兄さん」
 拳をきつく握り締め、腹をくくったように言うシオン。獲物を追い詰める者の目で嗤う襲撃者。
 仲間を救うため、追い込まれたシオンに、手段はひとつしか思い浮かばなかった。
「…分かった。そこまで言うなら相手をしてやろう…」
「シオン!」
 ユウコの制止も聞かず、シオンが持っていたユウコの往診カバンを地面に放り出し、背中の愛剣を握ろうとした、まさにその時。
「…メ…!」
 小さく、掠れた声がシオンの手をためらわせた。
 声のしたほうに、すぐさま視線を向ける。
 間違えるはずもない。この声は…!
「シオンさん、ダメ…いうこと、きいちゃ…!」
「ユイシィ!」
 シオンが叫ぶ。
 見ると、襲撃者に喉を鷲掴まれ、身体を吊り上げられたままのユイシィが、弱々しくではあるが襲撃者の腕を掴んでいるではないか。
「…なんだ、お前まだ生きてたんだ?」
 襲撃者の意外そうな声など構わず、ユイシィは夫に思い留まらせるため、掠れた声を必死に絞り出す。
「憎しみに駆られて剣を振るっちゃダメです…人殺しが、どれだけ重いか…シオンさんなら判るでしょ…?」
「うるさい! 黙れ!」
 身体の痛みに耐えながら訴えるユイシィの喉を、苛立ち、声を荒げた襲撃者がさらに締め上げる。
 襲撃者の指はユイシィの頸動脈にもかかっている。そんな状態で圧迫が続けば、結果はおのずと判るだろう。
 瞬間、シオンの中で何かが弾ける。
「貴様ァァァァァァァァァッ!」
 全身が泡立つような気配を感じながら、シオンは自分の間合いで踏み込むと、抜き放った愛剣を裂帛の気合いと共に振り下ろした。
 捉えた、と思った。完璧に。
 絶妙のタイミングで踏み込んだ一撃は、確実に襲撃者の背中を斬った。そのはずだった。
 しかし。
「…へえ。さすが兄さんだね。僕の間合いを制して打ち込んでくるなんて」
 シオンは自分の目を疑った。襲撃者はその一撃を、巨大な剣を用いて片腕のみで受け止めていたのだ。それどころか剣にギリギリと力を込めるシオンに対し、襲撃者は涼しい顔で、力など全く入れていないように見える。
「けど…こんなもんじゃないでしょ、兄さんの実力って。もっと本気出して…よっ!」
 力の入った語尾とともに、襲撃者はシオンを剣ごと凌ぎ振り払って返した。
 後方に数メートル吹っ飛ばされたが、シオンは体勢を立て直すとあらためて剣を正眼に構える。が、構えただけで微動だにしない。
 シオンは今、まさに攻めあぐねていた。
 普段のシオンなら、まごうことなく電刃居合い斬り奥義でもって相手を戦闘不能にしているだろう。
 しかし、相手が人を…ましてや自分の妻の喉を掴んでいるのだ。電刃居合い斬り奥義どころか、攻撃アビリティを使えば運がよくてかすり傷。下手をすればユイシィごと斬ってしまいかねない。
(とにかく、何とかして奴からユイシィを引き離さないと…!)
 普段攻撃アビリティしか持たない自分を、この時シオンは心底恨めしく思った。
 だが、今ここで自分を憎んでいても、ユイシィの身が危険にさらされている事実は変わらない。 シオンにできることは、ユイシィを傷つけないよう加減しながら襲撃者と斬り結ぶことだけだった。
「シオン! ぐ…っ!」
 仲間の危機にカナトが何とか加勢しようと試みるも、傷つき、痛む身体が言うことを聞いてくれない。シズナも同じなようで、愛剣に寄りかかって立つのがやっとらしい。
「ふたりとも、大丈夫?」
 シオンが戦って注意を引いている間に何とかカナトたちの元に辿り着いたユウコが、心配そうにふたりの傷を診る。
 傷口から察するに、回復不能状態に陥っていると判断したユウコは、すぐさま毒消しの風奥義とヒーリングウェーブ奥義で傷を癒しにかかった。
 ほどなくして、カナトとシズナの傷がみるみるうちに塞がっていく。
「…よし、第一段階成功」
「ありがとうございます、ユウコさん」
「俺たちはこれで充分だから、スフィアのほうを診てやってくれ。あいつモロにくらってたからな」
 シズナは丁寧にお礼を言うと、地面に杖代わりに突き立てていた剣を引き抜き握りしめ、襲撃者を見据える。シズナは戦闘中に口の中を切ったらしく、口元の血を拳で拭った。
 カナトも何とか動けるようになったようで、身のこなしはやや重いようだが立ち上がり、地面に突っ伏している三下医術士をちらりと見遣った。
 カナトによると、シオンの居場所を慇懃無礼に尋ねる襲撃者に対し、スフィアは完全にナメ切った態度で近づいて行ったそうだ。
 そして襲撃者の間合いに入った途端に一撃をくらい、地面に突っ伏した状態で戦闘不能になったらしい。
「…スフィアらしいというか何というか…」
「まあ、スフィアも冒険者だ。自業自得といえば自業自得だけど…」
 半ば呆れながらスフィアに命の抱擁を試みるユウコに、苦笑いでカナトは続ける。
「とにかく、奴からユイシィを引き離さないと。ユウコとシオンが戻ってくるまでに、ひとりでかなり無茶な戦い方をしてるからな…!」
 ふたりが戻る前のユイシィを思い出したのか、かなり焦りの色を浮かべるカナト。と、愛剣を握り直したシズナがカナトに小声で話しかける。
「カナトさん。残ってるアビリティは何で、あと何発撃てますか?」
「攻撃アビリティは弾切れだけど、黒炎覚醒を使ってあるからブラックフレイムならほぼ無制限で」
 眉をひそめながらも問われたことによどみなく答えるカナトに、シズナは満足げにうなずくと、肩越しに襲撃者を一瞥し、視線を戻して口を開く。
「なら、一か八かですが…『連携攻撃(コンビネーション)』といきませんか?」
「連携攻撃?」
 オウム返しに問うカナトとユウコに、シズナはやはり小声で概要を話す。
 概要を聞き終えたカナトは、少し考え込むようにあごに手を当て、腕を組んでいたが、ややあってシズナに視線を移すと、
「なるほど…今の段階じゃあ、確かにそれ以外に方法はなさそうだ」
「はい。どうですか、ユイシィさんを助けるためにやってみませんか?」
「無駄にしてる時間はないし、否定する要素もないしね。やろう!」
 カナトは愛用の術手袋をつけ直すと、襲撃者を睨み、少し腰を落として身構えた。
「ユウコさんはスフィアさんを回復後、ユイシィさんの回復をお願いします」
「わかった」
 シズナはユウコにそう言うと、自分の身長ほどもある愛剣を構え直し、連携攻撃を仕掛けるためのタイミングを計る。
 シオンと襲撃者の斬り結びは相変わらず続いているが、今手を出せばシオンもろとも吹っ飛ばしてしまわないとも限らない。募る焦燥感と戦いながら、カナトとシズナは必ず訪れるはずの唯一のチャンスを待ち続けた。
 一方、シオンも焦っていた。
 目の前で最愛の妻が傷ついているというのに、襲撃者から引き離せないでいる。切り崩そうにも、襲撃者は剣を振いながらも無造作にユイシィを掴んでいるため、どうしても攻撃の手がためらわれる。
(くそっ、早くしないとユイシィが…!)
 思い切り攻撃できないハンデに募る焦燥感。
 先ほどのやわらかい光の波はおそらくユウコの毒消しの風とヒーリングウェーブだろう。襲撃者と斬り結ぶその間にも、ユイシィの傷はいくらか回復したようだが、襲撃者の握力が相当なものらしく、今のユイシィには振りほどけないようだ。
 シオンとしては一刻も早く、ユイシィの怪我の具合をユウコに診てもらいたいところだが、まずはこの状況を打開しなければどうしようもない。
 しかし、シオンは焦りから周囲の状況が見えなくなっていた。窪んだ地面に足を取られ、シオンはバランスを崩して膝をつく。
 すぐさま顔をあげるが、時すでに遅く。シオンの喉元には、襲撃者の剣が突き付けられる。
「何を焦ってたのか知らないけど…チェックメイトだよ、兄さん」
 剣を突き付けたままにやりと嗤う襲撃者に、シオンは歯噛みする。
 これで…終わりなのか。愛する妻を助けられず、一矢報いることもできないまま、自分はここで殺されるしかないのか。
 冗談じゃない。こんなところでやられるわけにはいかない。しかし、今動けば自分は確実に殺される。
 どうしようもない状況に、シオンは襲撃者を睨むことしかできない。
「優秀だっていう割には大したことなかったな。でも、なかなか楽しかったよ。…じゃあね、兄さん」
 刺し殺すつもりなのだろう。襲撃者の剣がすっと引かれ、今まさにシオンの心臓を刺し貫こうとしたその時。
 突然、襲撃者の剣が黒く爆ぜた。その衝撃で剣は数メートル後方に吹き飛ばされて地面に突き刺さり、さらにその攻撃で襲撃者は意表をつかれたのか、その手に掴んでいたユイシィを放り出す。
 ユイシィはというと、投げ出され、襲撃者のすぐ近くの地面に崩折れた。
「今だ!」
 カナトの合図で、シズナが一気に間合いを詰める。
 ふたりはこの時を待っていた。襲撃者がとどめを刺すために気を抜くであろう、この瞬間を。
「覚悟!」
 シズナが愛用の剣を手に襲撃者に躍りかかる。
 タイミングは完璧、シズナはためらうことなく剣を大上段から振り下ろした。
 だが。
 がしっ、という音とともに、シズナの攻撃は軽く受け止められてしまった。しかも今のシズナは剣ごと宙に浮いている状態だ。
 ―――そう。襲撃者はシズナの攻撃を…あろうことかその刃を素手で掴んでいたのだ。
 これはシズナでなくても驚愕するというものである。
 あまりの信じられない状況に目を見開き、剣を襲撃者の手から取り戻そうとするシズナだが、襲撃者の握力に加え、自分の体が宙に浮かされてしまっているせいも相まって、取り戻すどころか一部も動かすことができない。
「ふん…なかなか面白いことするじゃないか」
 愛剣を取り戻そうともがくシズナに、襲撃者は無造作に剣を掴み、呟くように言う。
「何か企んでたようだけど、僕には勝てないよ。…アテが外れてお気の毒さま!」
 言葉と同時に、襲撃者はシズナの愛剣の刃をその恐るべき握力で握り砕いた。そして剣をシズナごと、離れたところに生えている木に向かって投げつける。
 愛剣を砕かれたショックは大きかったらしく、シズナは受け身も取れずに木に叩きつけられた。そのままずるずると地面にずり落ちる。
「シズナっ! くそっ、もう一発…!」
「遅いよ」
 シズナをフォローすべく、ブラックフレイムを放とうとするカナトだが、その前に背後を取った襲撃者がカナトに一撃くらわせた。
 その重い一撃を避ける間もなく、カナトは地べたに叩きつけられる。
 シオンも体勢を立て直し、襲撃者に斬りかかるが、斬り結んでいる間のわずかな隙を突かれ、鳩尾に鋭い蹴りをくらって吹っ飛ばされ、地面を転がった。
 何とか立ち上がろうとするが、やはりダメージは大きく、身体に力が入らない。
 そんなシオンを一瞥すると、襲撃者は吹っ飛ばされた己の剣を引き抜き、先ほど剣を砕いてやったセイレーンの女重騎士のもとに歩を進めた。
 一方シズナはというと、襲撃者が近づいてくるにもかかわらず立ち上がろうともせず、砕かれた愛剣を呆然と見つめ、うわごとのように「私の剣が…」と呟いている。
「いけない…シズナ、逃げて!」
 戦闘不能となったスフィアに命の抱擁を試みているユウコの声が聞こえていないのか、シズナは動こうとする様子もない。
 このままではまずいが、誰も動ける者がいない。
 命の抱擁は10分間の施術時間を必要とする上に、たとえ動けたとしても、今のユウコは直前の往診もあって、慈悲の聖槍などの攻撃アビリティを使えるようにしていない。そのため、遠距離攻撃の手段がない。
 やがて、襲撃者が無残な姿になった剣の柄を握りしめたままへたり込んでいるシズナの前に立った。
 その口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。が、直後その目は濁り切り、憤怒の色が浮かぶ。
「せっかく兄さんと死合ってたのに…ムカつくんだよ、お前」
 目の前でへたり込む女重騎士を睨み、襲撃者は憎悪の言葉を吐く。手にした得物である剣は怪しげな光を反射して、その刀身に女重騎士の姿を映し出す。
「僕と兄さんの邪魔をしたこと…あの世で後悔してろよセイレーン」
 襲撃者は無造作に剣を振り上げた。
 このままではシズナが殺される…その光景を回避しようと、ユウコが悲鳴に近い声を上げる。
「ダメ! シズナ逃げてえええええっ!」
 動かないシズナ。そのシズナを嗤いながら殺そうとする襲撃者。今から走っても間に合わない。
 もうダメだと思ったその時。

 風が、吹いた。一陣の風が。

 何が起きたか判らなかったユウコの目にはそう見えた。
 風が吹くとともに、襲撃者が吹っ飛ばされ、大剣とともに地面を転がる。
 風はシズナを守るように地面に降り立つと、襲撃者を見据え、油断なく身構えた。
「不意打ちは卑怯とは思ったけど…無抵抗の女性に剣を振りかざすなんて、そんな行為を見過ごすわけにはいかない!」
「ゼロさん!」
 そう。シズナの危機を救ったその風は、自由を求めて疾走する風・ゼロ(a29741)だった!
 ゼロは思わぬ援軍に泣きそうになっているユウコにひとつうなずくと、襲撃者から目を離さずに周囲の状況を確認する。
 膝を折り、倒れ伏す☆Tao☆の面々と、シズナを手に掛けようとしていた少年。
 何があったか、大まかなところは大体想像がついた。
 ゼロは襲撃者の少年を睨み据えると、声に出して叫んだ。
「☆Tao☆の人たちに何の恨みがあるのかは知らないけど…君は一体誰なんだ!?」
 襲撃者の少年はゆらりと立ち上がる。吹っ飛ばされはしたが、ダメージはそれほど受けてはいないようだ。自分を地面に転がした人物を…ゼロを、その空虚な眼で睨み据える。
「どこの誰だか知らないけど、やるじゃないか…そうだな、まだ名前も言ってなかったし、お前が名乗るなら僕も名乗ってやるよ」
 相も変わらず慇懃無礼だが、襲撃者の言うことも一理ある。ゼロは身構えたまま、おのれの名前を名乗った。
「…僕はゼロ。ゼロ・シルフィス」
「僕はそこに這いつくばってるシオン・ライジングの弟…エイル・ライジングだ」
 襲撃者・エイルの言葉に、ゼロは驚いて、思わずユウコに視線を移した。
 ゼロの視線に、ユウコは緊張しながらも、ためらわずにうなずいてみせる。
 ゼロはあらためてシオンを見遣った。
 ゼロにしてみればシオンに弟がいたなんて初耳だし、☆Tao☆の面々がたったひとりの襲撃者にここまで遅れを取るとは思っていなかった。
 しかし、目の前の光景はすべて偽りではない。
 ユウコは無事なようだが、他の面々が戦闘可能になるまでにはまだしばらくはかかるだろう。
 それまでに自分ひとりでどこまでやれるか…ゼロは慎重に間合いを計りつつ、なるべくエイルの注意を自分に向けさせようと言葉を紡ぐ。
「君がここに来た理由は…おそらくシオンさんに会いに来たんだろう。しかし、シオンさんは留守だった。しかたなくこの旅団の人に聞いてみるが、教えてくれない。腹を立てた君は力ずくで聞き出そうとした…違うかい?」
「そうだよ。そこでのびてる三下女が生意気な口をきいたんで、ぶっ倒してやったのさ」
 エイルはユウコに命の抱擁を施されているスフィアをぎろりと睨む。
 辺りの者すべてに狂気を叩きつけるエイルを視線で牽制しつつ、ゼロは言葉を続ける。
「仲間が倒されたここの人たちは君を倒すか、もしくは追い返そうと試みるけど、君はあっという間に返り討ちにしてしまった。そこへ、シオンさんが戻ってきた」
「へえ…すごいじゃないか。まるで見てたような口ぶりだね」
「この状況を見れば、大まかなところは推測できるからね。シオンさんと対面を果たした君は、シオンさんと戦うことを望んだんじゃないか?」
「その通りさ。僕のほうが兄さんよりも優秀だってことを証明するためにね。…でも兄さんは本気で相手をしてくれない。それどころか手を抜く始末だ。そうだ…そこの青い髪の女がウザいこと言うから、兄さんが本気を出してくれないんだ」
 先ほどのシオンの反応が気に食わなかったのだろう。エイルは憎らしげに、倒れているユイシィを睨みつけた。
 ユイシィの性格を考えれば、シオンを止めるのは当然である。世間の一般常識のほとんどを知らなかったシオンに、現在それらを教え、導いているのは妻である彼女だ。
 ユイシィは命の重さや大切さ、いかなる理由であれ人を殺すということの愚かさをよく知っていた。それらはユイシィに限らず、冒険者であれ一般人であれ、誰でも知っていることだが、シオンはよく判っていなかった。
 紆余曲折あって、今ではシオンもいくらかは理解しているようだが、今でもよく暴走することがある。そんなシオンを止められるのはただひとり…ユイシィしかいない。
「ユイシィさんはシオンさんと君が殺し合いをすることを止めようとしただけだ。どちらが優秀とか関係なく、ね」
「うるさい! お前なんかに、これまで劣等のレッテルを貼られ続けた僕の何が判る!?」
 静かに語るゼロに剣を突き付け、エイルはまなじりを吊り上げ激昂する。
 しかしゼロは表情を変えずに言葉を続ける。
「そうだね…僕は君の過去に何があったかは知らないし、君がシオンさんの弟だなんて思いもしなかった。だけど、他人が安易に決める優劣に踊らされて、自分の優れた部分を見つけようともせず、周りの人のせいにする…そこだけはあらためるべきなんじゃないか?」
「黙れぇぇぇぇぇッ!」
 エイルが吠え、一気に間合いを詰める。
 縦横無尽に繰り出される剣戟のすべてを、ゼロは紙一重で見極めていなし、かわしていくが、そのたびに小さな傷が増え、血が滲んでいく。
 傷だらけになりながらもエイルの攻撃を両手で捌き、回避していくうちに、エイルにわずかな隙が出来る。
 ゼロはそこを見逃さず、自らの身体をエイルの身体に密着させるように接近すると、半ば強引に疾風斬鉄脚奥義を叩き込んだ。
 一見、素人にはこの両者の攻防は一進一退に見えただろう。だが、この戦いにおいて、ゼロは圧倒的に不利であった。
 ゼロが今まで回避と防御に何とか成功できているのは、すべて自身の集中力のなせる業である。しかし、相手はシオンと同等…もしくはそれを上回る実力の持ち主だ。いくら修行で培った集中力とはいえ、そうそういつまでも続くものではない。下手をすれば決着がつく前に集中力が切れてしまう可能性だってある。
 そうなる前に、何とか連続で攻撃を当てないといけない。回避しているだけ、一撃だけでは遅かれ早かれ堕とされる。
 と、視界の端にスフィアがむくりと起き上がる姿が見えた。
 これならもう少しで…と、気を逸らしたその時。
 ゼロの注意がユウコとスフィアに向いたほんの僅かの間に、死角をとったエイルが剣を振りかぶる。「しまった!」と思った時にはもう遅い。
「死ねええええええええええええっ!」
 鬼のような形相で剣を横薙ぎに薙ぎ払うエイル。今からの完全な回避行動は間に合わない。
(なら、せめて受けるダメージを…!)
 振り返らず、横っ跳びに身をかわそうとするゼロの脇腹を、エイルの剣が掠め、鮮血が飛び散る。ユウコと意識を回復したスフィアがあわててヒーリングウェーブ奥義を試みるが、それを以てしても治癒が追いつかない。
 一方、ゼロはというと、身をかわすと同時にいったん間合いを取りはしたが、少しまずい展開になってきたと歯噛みしていた。
 先ほど掠めた脇腹の傷はいくらか塞がったが血が滲み、ゼロのシャツを赤く染めている。加えてユウコたちの援護があっても、勝てるか…いや、それどころか撃退できるかどうかも判らない。
 だが、ここで引くわけにはいかない。引けば全員やられることは目に見えている。
「ふふふ…僕を怒らせた罪は重いよ?」
 胸のうちで焦るゼロを、エイルはさらに追い詰めようと歩を進める。
 こうなったらいちかばちか、攻撃に全力をつぎ込むしかない…ゼロは覚悟を決めた。
「ひと思いになんてやってやるもんか…じわじわと嬲り殺してやる」
「やれるものならやってみるといい。僕もそう簡単に殺されるつもりはないからね」
「ほざけ!」
 吠えて突進してくるエイルと、構えて迎え撃つゼロ。再びこの両者の戦闘が始まるかと思われたその時。
 突如として両者の…エイルの目前でブラックフレイムの黒い炎が数発爆ぜ、エイルはあわてて後ろへ飛びずさる。
 しかし、そこへ身体に雷光をまとったシオンが突撃をかけ、飛びずさり、着地寸前のエイルを弾き飛ばした!
「お前の相手はこの我だ!」
 己が武器に雷光をまとい、一撃をくらわせる…サンダークラッシュ奥義を放ったシオンの口調が変わる。いつもの『ござる』口調から高圧的なそれへ。
 こうなったシオンは完全に戦闘態勢だ。その瞳には折れることなき心の現れ…闘志の炎が宿る。
「これ以上、我の仲間たちを傷つけることは許さん!」
 シオンは闘気を放ちながらエイルの前に立つ。先程とはまるで別人のようだ。その迫力に、エイルは気圧され、少したじろぐ。
「…それに」
 ゆるりと、だが違う方向から聞こえた声に、エイルははっとして振り返る。
「シオンの弟とかいったな。お前がどう考えてようと、俺たちはシオンひとりに戦わせたりはしないさ」
 口元から流れ出た血を拳で拭い、気合いを入れるかのように自身の術手袋をはめ直しながら歩を進めたのはカナトだ。多少泥まみれではあるが、彼の眼にもはっきりとした意思が見てとれる。
 やられた借りはきっちり返す…カナトの眼はそう語っているかのようだった。
「兄さん…お前らも、どうして…?!」
 そこまで言って、エイルははっとした。
「そうか…さっきの…そこのドリアッドの女と三下女の回復アビリティ…!」
 ―――そう。エイルはすっかり失念していたのだ。ユウコとスフィアを…彼女たち、医術士の存在を。
 もしエイルがおのれの目的にこだわらず、医術士を先に片づけていれば、こうはならなかっただろう。だが、今となってはそれも遅い。
「エイル…君の負けだ。おとなしく投降してくれれば命までは奪わない。僕たちは…冒険者は、殺し合うために生まれた存在じゃないんだから」
 だんだん顔を引きつらせるエイルに、ゼロは静かに語りかける。これ以上、無駄な戦いを避けるために。誰も傷つかずに済ませるために。
 しかし。
「フフフ……アハハハハハハハハハハッ!」
 突然、エイルが狂ったかのように嗤い出した。そのあまりの異様さに、皆、一様にいぶかしむ。
「そうだよ…卑怯だよ。僕はたったひとりなのに、兄さんはそんな奴らとつるんで寄ってたかって…! こんなの、フェアじゃないよ…!」
 何やらぶつぶつと恨みごとのように呟くエイルの視線は、しばし彷徨ったあと、ふと倒れたひとりに向けられる。
「そうだよ…フェアじゃないなら、フェアになるようにすればいいんだよ…!」
 と、エイルの姿がかき消えた。皆がそう思った次の瞬間、エイルは倒れたユイシィのすぐそばに出現する。
「まさか…っ!」
 あるひとつの行動が頭の中をよぎり、シオン、カナト、ゼロがあわてて走り出す。
 だが。
「動くな!」
 エイルの鋭いストップに、シオンたちは急制動をかける。
 エイルはその場にしゃがみこむと、倒れたユイシィの襟首を掴み、シオンたちに見せつけるように吊るし揚げた。
「ちょっとでも動いたら…この女が一瞬で血の詰まった袋に変わるよ?」
 エイルの瞳に狂喜の色が浮かぶ。まるで追い詰められた者が状況を打開する手段を見つけた時のような、あの狂気に満ちた目を。
 迂闊だった。まさか女性を人質に取るなんて。
「ユイシィさん!」
 あわててゼロが呼びかけるが、気を失っているらしく、ユイシィはピクリとも動かない。
 シオンが歯噛みしながら叫ぶ。
「貴様…この外道がっ!」
「外道で結構。ていうか、僕より兄さんのほうがよっぽど外道だと思うけどね?」
 悔しがる兄よりも優位に立てた自分に酔いしれるかのように嗤うエイル。カナトやゼロも、人質を取られた状況では手が出せない。
「さてと、この場はいったん引かせてもらうよ。後日、あらためて殺し合いしようよ、兄さん」
「待て…!」
 シオンの制止も聞かず、エイルはユイシィを担ぐと、大きくスウェーバックして森の中に消えた。
 そして、去り際の言葉がどこかから聞こえてくる。
「そうそう。この女を返してほしかったら明日、そこから東にある打ち捨てられた屋敷に来るといいよ。そこで待ってるから、さ」
 それきり、エイルの声は聞こえなくなった。おそらく彼が指定した屋敷に向かったのだろう。シオンはその場にがっくりと膝をついた。
「くそっ、なんてこった…!」
 カナトが痛恨の呻きを漏らす。自分がついていながら、こんな失態を許すなんて。
 ゼロも同じ気持ちらしく、エイルが逃げた方向を一心に見据えていた。
「ユイシィ…!」
 最愛の妻の名を呟いたのはシオンだ。
 膝をついたまま、拳にした両手を地面に叩きつける。
 救えなかった。自分の力が足りなかったばっかりに。弟だと名乗るあの襲撃者に、まんまと連れ去られてしまった。
 悔しくて悔しくて、溢れ出した涙が止まらなかった。情けない自分に腹が立つ。
 そして。
「ユイシィーーーーーーーーーーーーーーー!!」
 いつもと変わりなく青く澄み渡る空に、シオンの悲痛な叫びが辺りにこだました。







 ●来訪と帰還と
 森の樹々の合間から、やさしい風が吹いてくる。晴れ渡る青い空には、白い雲がゆったりと流れていく。なのに、いつものような森の動物たちの声やさえずりは、あまり聞こえて来ず、閑散としている。
 そんな旅団☆Tao☆の前庭に、呆然と立ち尽くすエンジェルの少女がいた。
 ほどけば地面に届きそうな赤茶色の髪をツインテールに結び、まだあどけなさの残る顔立ちに、ぱっちりとした紫の双眸が愛らしさを醸し出している。
 オレンジと白を基調とした冒険装束は、彼女の繊細な身体を守るように包んでおり、胸元には十字のペンダントが揺れている。
 いつも笑顔を絶やさず、今日も今日とて、自分のカバンにお菓子を詰め込み、元気いっぱいにやってきたというのに。
「何、これ…?!」
 久し振りに☆Tao☆に遊びに来たエンジェルの少女―――天使見習い・ミュシャ(a18582)の、目の前に広がる惨状に対する第一声がそれだった。
 普段からきれいにされていたはず前庭には、所々に浅いクレーターのようなものが穿たれ、手入れされ、四季折々の花が咲いているはずの花壇は無残に荒らされ、見る影もなくなってしまっている。
 それに、クレーターや地面についている黒いシミ……ミュシャにはそれが何なのか、容易に想像ができた。
 それは、命の源であるもの。誰しもの身体の中に紅く流れるもの―――。
「一体、何があったの…? ユウコお姉ちゃんたちは…?!」
 予想もしていなかった事態にうろたえるミュシャ。
 この状況から、おそらくここで戦闘があったのだろう。しかも現場を見る限り、その時期はつい先程だ。
 顔面蒼白で、混乱する自分を落ち着かせようと、ミュシャは深呼吸をする。
 何度か深呼吸をし、いつもの自分を取り戻したミュシャは、心配顔で☆Tao☆の玄関に視線を移す。
 一体、ここで何があったのか。こんな状況で、ユウコたちは無事でいるのか。
 とりあえずログハウスの中に入ろうと、足を踏み出そうとした時だった。
「おや? そこにいるのはミュシャじゃないか?」
 背中にかけられた聞き覚えのある声に、ミュシャははっとして振り向いた。
 振り向いたミュシャの視線の先には、ひとりの男がまさに威風堂々と立っていた。
 凛とした面立ちに加え、一部の隙もない身のこなし。どこかの国の騎士を彷彿とさせる、シャープなシルエットの漆黒の全身鎧。そして黒い薔薇をモチーフにした留め具を用いた黒いマントをその身にまとい、修行のために諸国を回っている、☆Tao☆の誇る翔剣士。
 彼こそが☆Tao☆のネタ師…もとい、心強い仲間のひとり―――漆黒の薔薇・メリシュランヅ(a16460)だ。
 メリシュランヅはミュシャのそばまでやってくると、「うむ、元気そうで何より」と、いとおしげにミュシャの頭を撫でた。
 頭を撫ででもらったミュシャも、にっこりと笑顔で答える。
「メリシュおぢちゃんおかえりー♪ でも…何? そのおっきい風呂敷包み」
 そう。苦笑いしながらミュシャが指さす場所に―――メリシュランヅは、マントをなびかせるその背に、大きな風呂敷包みを担いでいた。
 風呂敷は濃い緑に白い唐草模様…ではなく、なぜか【5】の数字がちりばめられていたりする。
 ずいぶんと膨らんではいるものの、その中身は大して重くないのか、メリシュランヅは白く染め抜かれた【5】の数字が躍るそれを涼しい顔で背負っている。
 ―――しかし、このビジュアルで街中をてくてくと歩く姿を想像すると、少しばかり恥ずかしいと思うのだが。
 ミュシャの指摘に何ら動じることなく、メリシュランヅは背中の風呂敷包みを一瞥しながら、落ち着いた様子で口を開く。
「ああ、これか。なに、ちょっとしたお土産だ。それより…」
 柔和な笑顔を浮かべていたメリシュランヅは、一転して険しい表情で前庭に視線を移した。眼前に広がる光景を見回しながら、眉をひそめて呟く。
「これは一体どういうことだ…?」
「ボクにもわかんない。来てみたらこうなってたの」
 ミュシャも困惑するばかりで、不安の色を隠せない。何をどうすればこんな状況が出来上がるのか、まったくもって想像がつかず、ある意味お手上げといった感じだ。
 そんな中、メリシュランヅはじっと前庭を見つめていたが、やがて意を決したように顔を上げると、
「とりあえず、中に入ろう。皆の無事を確認しなくては」
「そうだね」
 メリシュランヅの言葉に、ミュシャも大きくうなずいた。
 ―――どうかみんなが無事でいますように。
 ふたりはユウコたちの身を案じながら、ログハウスの玄関へと歩を進めた。


 ●手当て
 旅団☆Tao☆は外観こそログハウスだが、建物は地上3階の地下1階建て。母屋に加えて別館がひと棟と、意外にも大きい。
 1階には食堂や診察室、憩いの間や温泉図書館などがあり、2階は主に各団員の私室となっている。そして地上3階…ぶっちゃけロフトのようなものだが…そこには【償いの間】と呼ばれる独房兼雑居房が存在するのだが………【償いの間】に関してはまたあとでということで。
 閑話休題。
 メリシュランヅとミュシャは慣れた様子でログハウスの中に入る。
 玄関を入ってすぐはちょっとしたホールになっていて、壁には誰かが描いたものだろう。雨上がりの虹が連なる山々の向こうに見えるような構図の絵画がかけられ、ホールの隅には待ち合い用に設置された長いベンチと観葉植物の鉢植えがさりげなく置かれている。
 天井にはろうそくを使うアンティーク風のシャンデリア、玄関ドアのすぐ横には灯り用のランプがいくつか取り付けられており、暗くなった際、出かけていて帰ってきた団員たちや、訪れた客人たちを温かく迎えてくれる灯りとして、長いこと使い込まれてきた。
 そんな、いつも見慣れたはずの玄関ホール。そのはずだが……今のふたりの目には、何だか違う場所のように映って見えた。
「なんか…☆Tao☆なのに☆Tao☆じゃないみたい」
 ミュシャが不安げな様子でホール内を見回す。
 いつもなら明るくて、もっと元気になれる場所のはずなのに、今日に限っては、どこかの知らない旅団に無断でお邪魔したかのような気分に襲われ、その表情は知らず知らずのうちに不安に曇る。
「まさか、強盗に入られたとかじゃないよね…?」
「それはないだろう。☆Tao☆に強盗に入るなど…そんな物好きがいたら、ユイシィあたりに叩き出されているはずだぞ」
 言いながらも辺りを見回すメリシュランヅは、どこかに違和感はないかとホール内を注意深く観察する。しかし、目に見えて違和感を感じるところは、少なくともこのホール内には見受けられない。
 あごに手を当て、しばし考え込んでいたメリシュランヅであったが、一向に見えてこない状況に、戸惑いながらも呟いた。
「玄関の鍵は開いていたんだから、まさか全員出払っているということはないだろうが…とにかく、奥へ行ってみよう。まだ昼過ぎだし、必ず誰かいるはずだ」
「う、うん」
 言い知れぬ不安と焦燥感を抱えながらも、ミュシャは遅れまいと、歩き出したメリシュランヅに続く。
 男女別仕様のトイレの前を通り過ぎ、2階への階段を超えたところで、人の気配が多数感じられた。どうやら思ったより人数はいるようだ。
 ふたりは少し安堵を覚えながらも、一応、警戒しながらその気配のするほうへ歩いていく。
 そして、ようやく1枚のドアの前に辿り着いた。シックな造りのドアは木製で、ドアの上部には伐り出した木で造られたプレートがかけられていた。そのプレートにはかわいらしい字体で【診察室】と書かれている。
「ここ…ユウコお姉ちゃんの診察室だよ。なんでこんなとこに…?」
「それは判らんが…怪しい気配も感じられないし、入ってみれば判るだろう」
 頭の上に疑問符を浮かべるミュシャに少し下がるように指示すると、メリシュランヅはためらわずに診察室のドアを開けた。

 診察室内部は、さながら救急医療現場と化していた。
 みんなの怪我の手当てをするべく、深緑の癒し手・ユウコ(a04800)がかいがいしく治療に当たっている。
 ヒーリングウェーブ奥義を使ったり、包帯やガーゼ、薬品などを棚から出して治療を施したりと目まぐるしい活動っぷりだ。
「これは一体…!」
「「メリシュ!」」
 予期せぬタイミングでいきなり現れた黒薔薇の騎士に、ユウコと黒紫蝶・カナト(a00398)が声をハモらせる。
 他の面々も多少驚いたようだが、声の主が見知った相手だと判ると皆、一様に安堵した。
「おかえりメリシュ。ミュシャもいらっしゃい。でもごめんね、今ちょっと手が離せないの」
 久し振りに顔を合わせたふたりにユウコは笑顔を向けると、すぐに治療を施している手元に視線を移した。その表情はまさに医術士というに相応しく、真剣で威厳に溢れている。
 と、部屋の奥で別な誰かの治療をしていたらしい準医術士・スフィア(a61529)が間仕切りの端からひょっこりと顔を覗かせ、両手に持った茶色い瓶を振りながら早口にまくしたてる。
「ユウコ団長、消毒薬と血止め薬があとわずかでやんすよ」
「悪いけど、温室から必要な材料を採ってきてすぐに作ってくれる? この分だとまだまだ必要っぽいから」
「了解でやんす」
 ユウコの指示で、スフィアが小さめの籐かご片手に診察室を出ていく。
 温室、というと珍しいもののように思えるが、実は医術士の間では、割合珍しいものというわけではない。
 医術士はその性質上、薬剤についても精通している。いかなる怪我や病気であれ、的確に判断し、迅速な治療ができるようにだ。
 しかしそれにはヒーリングウェーブなどのアビリティだけではなく、並行して薬剤が必要になる場合も多々ある。消毒薬ひとつとっても、薬剤をイチから作る必要が出てくるわけだ。
 だが、必要だからと言って、その都度森などに分け入って材料を採取してくるのは効率が悪い。
そこで町に住んでいる医術士などは、規模は違えど、自宅の敷地内に自前の温室を設置し、中で必要な薬剤の材料を育てているというわけだ。
「…っと、はい。これで治療はおしまい」
「サンクス、ユウコ」
 使った包帯の端を巻き取って元の場所に収めるユウコに礼を言うと、カナトは治療のために脱いでかごに入れていた青い軍服の上着を羽織り、ボタンを上まできちんと留める。
 上半身の包帯は上着で隠すことができるが、顔のほうはそうはいかない。頬や口元の絆創膏が見ていて痛々しかった。
「カナトお兄ちゃん、どうしたのその怪我…それにみんなも…!」
 治療が終わったことをきっかけに、ミュシャは心配そうにカナトの顔を覗き込んだ。皆もとりあえず生きてはいるが、怪我の状態から見ても尋常ではないことが起こったに違いない。
 ミュシャはさらに問いかける。
「ひょっとして、表の状況と何か関係あるの?」
「あ、それは…」
 ミュシャの言葉にカナトは言いよどむ。ばつが悪そうに目を背け、何だかつらそうにも見えるカナトを、アメジストの瞳が真っ直ぐに見つめる。
 すると、見兼ねたユウコが助け船を出した。
「ミュシャ、悪いけどその話はあとにしてくれないかな。せめて、怪我してる人の手当てが終わるまで待っててくれる?」
「あ、ごめん」
 謝りながら、ミュシャはカナトから数歩離れる。そして距離を置いたのち、胸のうちで呟く。「ボクが来るまでに、何かあったんだ。表の状況とみんなの怪我は関連性があるんだ」と。そうでなければ、☆Tao☆のみんながこんなに意気消沈している説明がつかない。
 しかし、ただ待っているだけというのも落ち着かないので、ミュシャもメリシュランヅも怪我の手当てを手伝うことにした。
 せわしなく治療が続く中、スフィアが作ったばかりの消毒薬と血止め薬をそれぞれふたつずつ持って戻ってきた。小さめの瓶に詰められたそれらをひとつずつユウコに手渡すと、残りの瓶を手に奥の間仕切りの陰へと入っていく。
 ユウコがミュシャにスフィアの補助に入るよう頼むと、ミュシャは快く引き受け、スフィアの後を追って間仕切りのほうへ駆けていった。
 治療の補助をしつつ、メリシュランヅは間仕切りの向こうへ消えるミュシャを見遣りながら尋ねる。
「団長、奥では誰を治療しているんだ?」
「シオンの旅団の団員のゼロさんだよ。ちょうどスフィアとは闘技場にいっしょに出場してる仲だし、スフィアに任せてるの」
 手元から目を離さぬまま、今度は蒼の覚醒守護修羅神・シオン(a12390)の怪我の治療をしているユウコは、スフィアが持ってきた作りたての消毒薬を脱脂綿にたっぷりめに含ませると、ピンセットを巧みに使って傷口を消毒していく。
 消毒薬を含んだ脱脂綿が傷口に触れるたび、シオンは痛みに顔を歪めるが、声をあげたりはせず、目をぎゅっとつむって耐えている。
「シオンの怪我はずいぶんひどいからなあ。アビと併用しても血止め薬程度じゃ追いつかないよ…よし、こうなったらアレを使いましょうか☆」
 消毒の手を休めず、ひとり言を呟くようにそういうと、ユウコは立ち上がり、奥の薬棚から何かを持ち出して戻ってきた。
 湿気を通さぬよう、口を油紙で覆って紐で締められた若草色の壺にはラベルが貼られており、ドクロマークとともにやたらと達筆な字体で『塩』と書かれている。
「そ、それはもしや…っ!?」
 ファンキーなラベルの貼られた若草色の壺を見た途端、カナトの顔色がまともに変わった。メリシュランヅの表情にも緊張と戦慄が浮かぶ。
「うん、つぶつぶ塩入りお薬だよ。やっぱり怪我した時はこれがいちばん☆」
 言ってユウコは壺の封を解くと、ためらいもなく壺の中に手を突っ込んだ。すくい出された軟膏のようなそれは、塩の結晶らしいつぶつぶがひと目で判るくらいに配合されている。
「ユウコ…気のせいか、塩の割合が多くなってないか?」
 額からひと筋の冷や汗を流しながら、カナトがおずおずと口を開くが、ユウコはきょとんとして。
「そうかな? いつもと同じ分量だよ?」
 …恐るべし、ユウコ団長。
「さ、シオンはおとなしくしててね? これを塗れば怪我なんてあっという間に治っちゃうから☆」
 そう言うと、ユウコはにっこり微笑んで手のひらの軟膏を、まずはシオンの肩口の傷に塗りつけた。
 ちなみにこのつぶつぶ塩入りお薬というやつ、つぶつぶの塩が傷に沁みるせいで相当痛い。人によってはあまりの痛さに絶叫しながらのたうちまわったり、悶絶した果てに気絶する者もいる。
 だが、シオンはどちらかといえば悶絶するタイプなのに、今回に限っては歯を食いしばり、猛烈に沁みるはずの塩を必死に堪えている。
 しばらくして、深そうな傷口すべてにお薬を塗り終わり、上からガーゼで覆って包帯を巻いていく。シオンは普通の体格なので、ものの5〜6分で包帯巻きが完了した。
「はい、おしまい。傷口が開いちゃうから、しばらくはおとなしくしててね?」
 ユウコの指示に無言でうなずくと、シオンはカナトも使ったかごに用意されていたシャツにのろのろと袖を通し始めた。
 シズナは血止め薬と回復アビリティだけでほぼ全快し、ゼロのほうも、新しく作られた血止め薬で何とかなったらしく、奥からスフィア、ミュシャとともにひょっこりと姿を現した。
 ふいに、メリシュランヅはあることに気がつく。
「そういえば、ユイシィはどうしたんだ?」
 その言葉を聞いた途端、ユウコたちは皆、身をこわばらせ、一様に黙り込んでしまった。スフィアは気まずそうに目を逸らし、シオンはというと、うつむいたまま何も言わない。
 ややあって、ユウコが重々しく口を開いた。
 つい先程、シオンの弟だと名乗る襲撃者・エイルがシオンを殺しに☆Tao☆にやってきたこと。そのエイルと前庭で戦闘になったこと。そして、怪我をしたままのユイシィがエイルに連れ去られたこと―――。
「そんな…ユイシィお姉ちゃんが…!?」
「なんと…!」
 ミュシャとメリシュランヅは事のあまりの重大さに絶句する。
「うちらも何とかユイシィを助けようと思ったんだけど、人質に取られちゃったら迂闊には動けなくて…」
「いや、その状況下では動かなかったのは正解だと思うぞ。下手に取り返そうとして、ユイシィを殺されては元も子もないからな」
 肩を落とし悔しがるユウコに、メリシュランヅがそう言いながらユウコの肩を叩いた時。
 突然、シオンが自分の右肩をどこかに隠し持っていたらしいダガーで刺し始めた。
「拙者のせいだ! 拙者の力が足りなかったばっかりに、ユイシィを…!」
 目に涙を浮かべ、シオンは何度も何度も刺す。まるで自分を責めさいなむかのように。今し方止血された肩口から、再び血が流れ出る。
 その異様な光景に、我に返った自由を求めて疾走する風・ゼロ(a29741)とカナトがあわてて止めに入った。
「やめてくださいシオンさん!」
「やめろシオン! そんなことしてもどうにならないだろ!」
 取り押さえられたシオンはゼロに羽交い絞めにされ、カナトにダガーを取り上げられる。
「しかし、拙者に力があれば、こんなことには…!」
 目の前で最愛の妻を連れ去られた悔しさから、なおも言い募るシオン。
 と。
 突然、上から何かが覆い被さった。その被さった何かによって、シオンの視界が真っ黒になる。
「ちょ、何を…!」
 あわててゼロの羽交い絞めを振りほどき、覆い被さったものを掴んで目視する。
 シオンの視界を一時的に暗闇状態にしたもの。それは…。
 アフロだった。直径にしておよそ30センチくらいの。ド派手でまぶしい虹色の!
「落ち着くんだシオン」
 シオンに虹色アフロをかぶせた張本人―――メリシュランヅが穏やかに口を開いた。
「見ろ。俺も」
 そう言いつつ、メリシュランヅは兜を脱いでみせる。
「!!!」
 お目見えしたそのアフロに、みんながド肝を抜かれることとなった。
 色こそ普通に黒一色なのだが、問題はその大きさ。
 直径5メートルはありそうな巨大なアフロが、兜の下からもっさりと姿を現したのだ。
 5メートルアフロは天井や壁に行き詰って本来の姿を少々崩してはいたが、そのアフロがメリシュランヅに似合っていることといったらもう。
 みんなが揃ってぽかーんと口を開けている様に、メリシュランヅは満足そうにうなずき、
「もちろん、これだけではないぞ?」
 そう言って手伝いのために下ろし、部屋の隅に置いておいた【5】の大風呂敷に手をかける。
「見よ、この素晴らしきアフロの数々を」
 メリシュランヅは風呂敷包みの結び目を優雅な仕草でほどいてみせた。
 すると中から出るわ出るわ。
 もっさりとあふれ出したアフロは、割と広めに造られた診察室の床の、実に半分を埋め尽くした。
 原色に染められたものやコントラストの効いたもの、グラデーションが鮮やかなものに、なぜか迷彩柄やアニマル柄などなど。
 中にはピンク一色でリボンのついたものや、『ワイルドファイア産』などとタグに書かれたものまで、ありとあらゆる色や大きさのアフロがそこにあった。
 あまりのインパクトにみんなの目が点になってしまった中、メリシュランヅが言葉を紡ぐ。
「シオン…ユイシィを連れ去られたのはさぞ悔しかったことだろう。留守中にみんなに迷惑をかけ、怪我までさせてしまったことを申し訳なく感じているとは思う。
 だが…だからと言って、今ここで自身を傷つけていても何の解決にもならない」
 傷つけた自身の肩を押さえ、シオンは押し黙ってうつむいている。
「それにだ…せっかく傷の手当てをしてもらったのにそんなことでは、次もまたユイシィを助けられずに負けるぞ?」
「負ける…?!」
 メリシュランヅの言葉の『ユイシィを助けられずに』の部分に反応して、シオンが顔を上げる。その反応に、メリシュランヅは穏やかな笑みを浮かべる。
「さて、そこで問題だ。ユイシィを助けるために、これから俺たちはどうするべきだろうか?」
 人差し指をぴっ、と立て、メリシュランヅはこの場にいるひとりひとり、みんなの顔を見回しながら問う。
 ―――頭を動かすたびに壁や天井に擦れるアフロに、どうしてもみんなの注目が集まってしまうが。
 と、突然、シオンがドアに向かって駆け出した。右手からは血の滴が滴り落ちているにもかかわらず、ドアのそばに置いてあった愛剣を手にし、ドアノブをまわそうとする。
「シオン! 待って…!」
 ユウコがあわてて止めようとすると。
 刹那、短い風切り音が響き、ぷすっ、と何かの刺さる音。
 何が起きたのか、みんなが首を傾げていると…その直後、シオンは愛剣を手にしたままうつ伏せに、お尻を天井に突き出した状態でバッタリと倒れた。
 シオンが倒れたその向こう側には…細長い筒状の道具を持ったスフィアが不敵な笑みを浮かべていた。
「くっくっく…安心するでやんす。ただの睡眠薬でやんす」
「睡眠薬?」
「針に睡眠薬を塗ったものを、筒から射出したでやんすよ」
 スフィアに言われて見てみれば…シオンのお尻には、何やら針のようなものが刺さっていた。
 尻に針をくらわされ、面白い…もとい、情けない姿で倒れたシオンをよく見てみれば、流血しているにもかかわらず、すやすやと寝息を立てていたりする。
「吹き矢はダイエットにもいいらしいでやんすよ?」
「てか、普段そんなもん持ってんのか」
「あの…」
 スフィアの無邪気な顔に呆れるカナトの横で、ゼロがおずおずと口を開く。
「シオンさんはなぜ、急に走り出したんでしょうか」
「うむ、おそらくは…ユイシィを助けに行くことが第一と考え、傷の手当てもせずに今すぐ出発しようとした。そんなところではないかな」
 冷静に分析するメリシュランヅに、ユウコはくすっと笑い、カナトはやれやれとかぶりを振る。
「まったく…ユイシィ様のことになると、見境がなくなるでやんすからなぁシオンは」
 辟易するスフィアは吹き矢の筒をしまうと、シオンをロープで簀巻きにしていく。
 ―――なんだか手馴れているように見えるのは気のせいだろうか。
 スフィアの手際を眺めながら、カナトは胸のうちでコッソリとツッコミを入れた。
「ともかく、メリシュの言いたいことは分かったよ。今はごはんを食べてよく休んで、明日のユイシィ救出に備えよう、ってことだよね?」
「そういうことだ」
 口元に手をやり、くすっと微笑むユウコの言葉に、メリシュランヅは力強くうなずいてみせる。
 仲間を救うためとはいえ、ここでシオンのように急いて助けに向かったりしたら、先程と同じ様に返り討ちにされてしまうだろう。
 まずは心身ともに回復・充実させ、準備を万全にして明日の決戦に挑む。
 それが、捕らわれたユイシィを助けるいちばんの近道だった。
「ならちょっと遅いけど、みんなでお昼食べよっか。シズナ、お昼の支度ってどこまで進んでるの?」
 ユウコが今日の食事当番に当たっているシズナに声をかけるが、シズナには声が届いていないようだ。窓辺にある長椅子に腰をおろし、肩を落として沈んだ表情のまま、鞘に収められた自分の愛剣を眺めている。
 ユウコはシズナの前に歩み寄ると、あと5センチというところまで顔を近付け、覗き込んだ。
「シ・ズ・ナっ?」
「えっ?! あ、はい。何でしょう?」
 いつの間にか間近に迫っていたユウコの顔に驚き、藍青覚醒武装戦乙女・シズナ(a35996)はあわてて居住まいを正した。にっこりと微笑むユウコは、先程と同じ質問を繰り返す。
「ナポリタンのソースはすでにユイシィさんが作って置いてあります。ユウコさんが戻られてから麺を茹でる手筈になってましたから、あとは麺を茹でて、ソースと絡めるだけです」
 シズナが覇気のない小さな声でそう言うと、ユウコは「わかった」とうなずいて顔を離した。
「じゃあシズナはお昼の準備を進めておいてくれる? うちもあとから手伝うから」
 シズナは「はい」とだけ答えると、愛剣を抱えてとぼとぼと診察室を出ていく。その様子を見たゼロが「僕、シズナさんを手伝ってきます」と申し出た。
「うん、すみませんがよろしくお願いしますねゼロさん」
 ユウコの声に送られて、ゼロはシズナの後を追うように部屋を出ていった。
 その横でメリシュランヅはというと、床に溢れたアフロを風呂敷包みの中に大事そうにしまいながら、少し伸びをしているカナトに声をかける。
「あとで【償いの間】に行かないか? 今回のことで、いろいろ話を聞いておきたい」
「なんで【償いの間】なんだよ。…ま、いいけどさ」
 一時はコンビを組んだ相手だ。相棒のこういうところは今に始まったことではないが、あの【償いの間】という場所には思うところもあるのだろうと結論づけ、カナトは呆れながらもそれを了承した。
 ―――「それよりそのでかいアフロをどうにかしろ」と、ツッコミ入れるところはきっちり入れて。
 さて、そんな男ふたりの会話をよそに。
「さてと。シオンが眠ってる間に…」
「きっちり治療するでやんすよ♪」
 黒笑を浮かべるユウコと邪笑を浮かべるスフィアが、それぞれ若草色の壺と緑色のドロドロとした液体(?)の入ったマグカップを手に、尻に刺さる針の睡眠薬で爆睡中のシオンを取り囲んでいたりする。
 その気配のあまりの恐ろしさに、カナトとメリシュランヅはどちらからともなく抱き合って怯える。
 ―――カナトが自分の過ちに気づき、メリシュランヅを蹴倒すのはこの数分後であるが。
(シオンお兄ちゃん…ボク、知ーらないっと)
 医術士ふたりのステキな笑顔を見遣りながら、ミュシャは心の中でそう呟いたのだった。


 ●それぞれの理由
 ☆Tao☆の旅団ログハウスはこの地に根を下ろして以来、長い時を生きてきた立派な大樹に寄り添うようにして建てられており、その一部は食堂のキッチンの壁として、その巨木の幹を覗かせている。
 食堂は多人数でもゆったりと食事が取れるようにという配慮から、ちょっとした大衆酒場くらいのスペースを取ってある。
 レースとパステルグリーン、2種類のカーテンがついた開放的な窓がいくつもある食堂の入口から中へ入ると、まずあるのは団員たちが食卓を囲む食堂のテーブルだ。
 毎回おいしいごはんが並べられるテーブルは大きくどっしりとした造りになっており、洗いたての真っ白なテーブルクロスがかけられていて、清潔感が漂っている。
 玄関ホールと同じように、天井には等間隔でろうそくを灯すシャンデリアがあり、部屋の至るところには夜でも室内を明るく照らすためのランプが取り付けられている。
 要所要所には鉢に植えられた観葉植物が青々と育ち、テーブルの奥には玄人はだしの料理の腕を持つ団員たちがその腕を振るうために立つカウンターキッチンと、その隣には飲兵衛たちの指定席であるソファーと大きめのローテーブルが置かれていて、夜はちょっとしたバーになる。
 そんな☆Tao☆ご自慢のキッチンは、昼食の準備の最中そのままになっていた。
 いつも使っているかまどや作業台代わりのテーブルやカウンターの上には、昼食用に作られたメニューがほぼ完成の状態で並んでいる。
 しかも使い終えた調理器具や洗い物はきれいに洗って水切りかごの中に伏せられ、作業台はきれいな布巾で拭かれ、整理整頓がきちんとされている。
 普段から団員の食と台所を預かる責任を持った人でなければ、とてもこうはいかないだろう。
「すごいな…これ、シズナさんとユイシィさんで作業してたんですか?」
「え、ええ。私はナポリタンを作った経験があまりなかったので、調理はほぼユイシィさんが。調理器具などは使い終われば即洗って、水切りができたらすぐに拭いて片付けられるようにしてますから」
 かまどに火を入れながら、シズナは作り笑いで説明した。
 シズナはああ言っているが、この昼食もおそらくユイシィとシズナのふたりで作っていたのだろう。今は旅団にいる人数が少なくなってしまったとはいえ、毎日全員分の食事を作っているのかと思うと、あらためてすごいと感心してしまう。ゼロは素直にそう思った。
 寸胴鍋に水を張り、かまどにかけて湯が沸くのを待ちながら、ゼロはシズナを手伝ってテーブルをセッティングしていく。
 個人個人の好きなカラーリングなのだろうか。席のひとつひとつにかわいくデフォルメされた団員の顔のアップリケが入ったランチョンマットを敷き、その上にお皿とフォークとスプーン、サラダを取り分ける小鉢と、小さめのスープカップに飲み物を入れるグラスを置いていく。
 おもちゃの兵隊のように整然と並べられたミニサイズのパンが入った浅いバスケットをテーブルのどこからでも取りやすい位置に置きながら、ゼロはシズナに話しかけた。
「かわいいランチョンマットですね」
「それはユイシィさんが作られたんですよ。テーブルクロスだけではちょっと物足りないからと言って、手が空いた時にひとつずつ縫ったそうです」
 そう言うと、サラダがたっぷり入ったサラダボウルをテーブルに置きながら、シズナは寂しそうにテーブルの上のランチョンマットに視線を落とした。
 シズナの視線の先にあるそのランチョンマットは桜色で、シズナの似顔絵がアップリケされたものだ。にっこりと微笑んだデフォルメちっくなその表情は、額の宝石までかわいらしく縫い取りしてあった。
「シズナさんはどうするんですか?」
「え…っ?」
 唐突に発せられた言葉に、シズナは顔をあげてゼロに視線を移す。
「皆さんは明日、ユイシィさんを助けに向かうでしょう。それぞれの理由で、それぞれの決意を胸に。シズナさんはどうするんですか?」
 ゼロの真剣な眼差し。その眼は確固たる意思を湛えている。
「私は…どうするべきなのか、戸惑っています」
 シズナはゼロから視線を逸らしながら、ぽつりぽつりと自分の胸のうちにある迷いを言葉に紡ぐ。
「私は重騎士です。皆さんと同じく、ユイシィさんを助けに行きたい。しかしそのためには…戦うために剣が必要です。でも、私の剣はあの襲撃者に…シオンさんの弟であるというあの少年に折られてしまった。今の私には、戦うための力がない…」
 愛剣の無惨な姿を思い出したのだろう。シズナは目を伏せ、打ちひしがれながらきつく手を握りしめた。
「僕は」
「?」
 しばしの沈黙ののちに口を開いたゼロに、シズナは視線を移す。
 ゼロはシズナに怒るわけでもなく、責めるわけでもなく。自分の道を見失ってしまったセイレーンの女重騎士をただ、ひた、と見つめ、自分の中に在る思いを言葉にする。
「僕は『目の前に困っている人がいたら助けたい』。☆Tao☆の皆さんはシオンさんを守るために立ち上がる。あのエイルという少年からシオンさんを守って戦うために。だから僕は皆さんの力になるべく同行する。ユイシィさんを助けに行くんです」
 剣とともに自分の信念…心を折られ、ただ打ちひしがれるしかないシズナに、ゼロは穏やかに言葉を紡ぐ。
「さっきシズナさんは『今の自分には戦うための力がない』って言いましたよね。でも、戦うために必要なのは剣だけでしょうか?」
「? それはどういう…?」
 何気なく発せられた言葉が、シズナの胸に引っかかった。眉をひそめ、何かにすがるような瞳で問うシズナに、ゼロは微笑みながら、
「自分の中の力の特性を知り、最大限活用する…それも、誰かを助けるための力になると、僕は思いますよ」
「自分の中の力…」
 ゼロの言葉をリフレインし、シズナは呟きながら自分の両の手に視線を落とす。
 そこへシオンの手当てが終わったらしいユウコ、ミュシャ、スフィアが手伝いにやってきた。
 それぞれエプロンをつけつつ、キッチンにいるふたりのもとへ歩み寄って来る。
「ふたりともごめんねー。うちも今から手伝うよ」
「ボクもー♪」
「あっしもでやんす」
 元気な3人が加わり、少し遅めのお昼の準備はかしましくありながらも手早く整えられていく。
 と、ユウコが思い出したように呟いた。
「…そういえば、どうしてゼロさんは☆Tao☆(うち)に来たの?」
「ああ、そうだった。僕はこれを届けに来たんです」
 そう言うと、ゼロはソファーの上に置いていた袋から小さな小箱を取り出して皆に見せた。
 それは、蓋の上に小さなガーネットがあしらわれた小箱だった。
 ゼロが小箱の底面のネジを回して蓋をあける。と、懐かしいような、かわいらしいメロディが流れてきた。
「これ、ユイシィお姉ちゃんのお気に入りのオルゴール…!」
 ミュシャは驚いて声をあげた。
 以前、ユイシィの部屋に遊びに行った時に見せてもらったことがある。
 シオンさんと新婚旅行に行った時にエンジェルの女の子に作り方を教えてもらって、それをシオンさんが作ったものと交換したのと、ユイシィははにかみながら語っていた。
「数日前、僕が所属してる別旅団の骨董品店に来たユイシィさんから預かったんですよ。『普通に聞いてたら変な音がして鳴らなくなっちゃったから、ちょっと見て修理してほしい』って。調べてみたらスプリングが挟まってただけだから、それを取り除いて今日、持ってきたんです」
「そうだったの…」
 得心したユウコはゼロの手の中のオルゴールに目を落とした。
 いつもいるはずの人がそこにいない…場にいるユウコたちの心とは裏腹に、その主なきオルゴールはいつもどおりのメロディを奏でている。
 静まり返ってしまったキッチン…その中で、ゼロの声が静かな決意を告げる。
「ユウコさん。僕もユイシィさんを助けに行くのを手伝います。困ってる人を放っておけないですし、ユイシィさんは☆Tao☆にとってはなくてはならない大切な人だと思うから」
「ゼロさん…ありがとう」
 自分にとってあまり交流のなかった人からの、頼もしい言葉。ユウコはゼロの申し出に感謝した。
「ユウコさんもユイシィさんを助けに行くつもりでいるんでしょう?」
「うん。うちにとってもユイシィは頼りになる大切な団員さまだからね。それに、シオンの大切なお嫁さんだもん。団員さまの困ってる姿は見過ごせないよ」
 ユウコの瞳に団長としての誇りと闘志が宿る。その横からミュシャも手を挙げ、高らかに宣言する。
「ボクも行くよ! ユイシィお姉ちゃんは親友だもん。もちろんスフィアお姉ちゃんも行くよね?」
 ミュシャは笑顔でスフィアに問いかける。
 まさか自分に話を振られるとは思ってなかったスフィアはくるりと踵を返すと、
「あ、あっしは用を思い出したんで旅に出るでやんす」
 トンズラするそぶりを見せるスフィアの首根っこが突如、誰かによって捕まえられる。逃げないように首根っこをひっつかむ手の元を辿ればユウコが…黒笑を浮かべた団長が静かに佇んでいた。
「じょ、冗談でやんすよ! あっしもユイシィ様を助けに行くでやんす!」
 団長の恐ろしさは末端の自分にもよく判る。取り返しのつかない状況にならないうちに、スフィアはあわてて前言を撤回した。
「シズナももちろん行くよね?」
 あわてふためく後輩を解放し、ユウコはひとり佇むシズナに視線を移した。
 シズナならきっと「行く」と言ってくれる。
 そんな期待を寄せ、聞くまでもないかなとユウコは思っていたが、しかしシズナの口からは予想を裏切る言葉が出てきた。
「私は……すみません。しばらく考えさせてください…」
 そう言うと、シズナは身につけていた割烹着と三角巾を取り、食堂の入口に立てかけておいた愛剣を手に、食堂を出て行った。
 意気消沈するその背中に、いつものシズナがまとうオーラはなかった。
「シズナお姉ちゃん…助けに行かないつもりなのかな?」
 シズナの背中を心配そうに見送るミュシャの肩に、ゼロは手をぽん、とおいて、食堂を出ていったセイレーンの女重騎士に視線を向け、呟くように言う。
「大丈夫。シズナさんは今、ちょっと道に迷ってるだけだよ。あとから必ず追いついてきてくれる」
「ゼロさん…?」
 ゼロの言葉に、ユウコは小首を傾げた。ゼロはシズナのことを信じているのだろう。あるいは、シズナが助けに行くと言ってくれるであろう、確信めいたものを持っているのかもしれない。
 ユウコもミュシャも、スフィアでさえ、ゼロのことを見上げている。あまり仲良くしているというわけでもないはずなのに、どこか安心感を覚えるこの青年のことを。
 そんな女性陣に、ゼロはオルゴールの蓋を閉め、微笑みながらこう告げた。
「…さ、お昼の支度を再開しましょう。カナトさんたちもお腹を空かせて待ってますよ」

 一方、カナトとメリシュランヅは3階唯一の部屋―――【償いの間】の前で話し込んでいた。
 先程起きた事件の大まかなところはユウコが語ってくれたが、やはりメリシュランヅとしては皆をできる限りサポートしたい。そのために事の一部始終を見、なおかつ幅広い知識と見識を持つ相棒の口からあらためて話を聞いておきたかった。
 話はエイルの容姿に始まり、性格や戦闘スタイル、さらにはちょっとしたクセへと続き…今はアビリティのことが話題となっている。
「なるほど、回復不能か…それはまた厄介だな」
「ああ。たぶん放蕩の香りを使ったんだろう。気づいた時「やられた!」と思ったよ。まさか吟遊詩人のアビを持ってるとは思わなかったからな。そこからサンダークラッシュやらデュエルアタックやら使ってたから…本業クラスはシオンと同じ武人じゃないかと」
「サンダークラッシュにデュエルアタック? バカな、放蕩の香りも持っているのだろう? いくら何でもキャパシティが異常過ぎる。サンダークラッシュかデュエルアタックのどちらかを『改』か『ノーマル』に落としているのではないのか?」
「たぶん落としてはいるだろうけど、威力が半端じゃなかった。シオンが戻ってくるまで、俺たちの中ではいちばんタフなユイシィが吹っ飛ばされるくらいだからな。あと、武人の極意奥義もデフォで積んでると考えたほうがいいね。じゃないと、あれほどの威力を発揮できた説明がつかない」
「そこまでとは…!」
 カナトの証言に、メリシュランヅは驚愕するとともに口をつぐんでしまう。
 長年コンビを組んできた相棒の口からここまで言わしめたのだ。相手の実力は決して油断ならないものであろうことはよく判った。
 しばし腕組みして考え込んだのち、メリシュランヅはおもむろに【償いの間】に視線を移す。
 室内はさほど広くはないものの、掃除はきちんとされ、手入れも行き届いている。
 壁は一部、キッチンと同じように、創立以来☆Tao☆をずっと見守り続けてきた大樹の幹がむき出しのままで使われており、以前は家族と夜を司る女神フォーナの像が安置された神聖な場所だったはずだが…今では黒笑を浮かべた団長の像が鎮座していたり、何やら変な音がしたりとある意味異様な様相を呈している。
 そんな【償いの間】を、メリシュランヅはけっこう気に入っていたりする。
 目を閉じて深く息を吸い、静かに吐き出す。
 かつてこの【償いの間】に幽閉された経験を持つメリシュランヅ。あの時も何だかんだ言って楽しかったが、今また、この【償いの間】の前に立てたことを嬉しくも思う。
 内装などはネタに走ってすっかり様変わりさせてしまったが、それでもここは☆Tao☆にとって、なくてはならない場所だ。
 そして、それは人にも同じことが言える。
 メリシュランヅはそれをよく心得ていた。
 ややあって、伏せていた目を開けると、メリシュランヅは静かに言葉を吐き出した。
「入団してきたばかりの頃は内気でおとなしかったが…今ではすっかり頼もしくなり、この☆Tao☆になくてはならない存在になった。ユイシィがいなければシオンは心の成長のないまま歳を重ねていくだけの人生を送ったかもしれんし、もしかしたら☆Tao☆が解体するなんて事態になったかもしれん」
「そこまで大仰なことでもないと思うけど…」
「いや、あり得ることだ。以前、団長がしばらく旅団を空けねばならなくなった時、ユイシィが団長代理を務めただろう? もしユイシィがいなかったら? ユイシィを信頼していなければ己の旅団を預けようとは思わないからな」
 小首を傾げるカナトに、しかしメリシュランヅはかぶりを振り、継の言葉を紡ぐ。
「この旅団の皆のためにも、俺たちの手でユイシィを救い出さなければ。…誰かを失うことの悲しみは嫌というほど知っているからな」
「だね。それと…俺はもうひとつ。あのエイル(ガキんちょ)にきっちり借りを返してやるっ!」
「んまっ、カナトったら。ガキんちょなんてはしたない♪」
「やめい」
 おどけて抱きつこうとするメリシュランヅの顔面を、前蹴りで一蹴するカナトであった。

 暗く冷たい石造りの空間に、水の滴る音が聞こえる。
 空気はよどみ、まだ春だというのに湿気がひどいためか、肌寒い。
 そんな中で、自分探しの旅をする者・ユイシィ(a29624)の意識は着実に覚醒へと向かっていた。
「ん…」
 ゆっくりと目を開ける。
 最初に目に入ったのは見知らぬ石造りの壁。そして鎖に吊られた木の板のベッド。
「ここは…?」
 痛みで言うことをきかない身体を無理やり起こし、周囲を見回す。
 上下と3方向を石の壁で囲われ、一方には錆びた鉄格子がはめられた無機質な部屋。
 通路らしき空間を挟んだ向こうには同じような部屋があり、やはり鉄格子で区切られている。
 世に言う『牢屋』だと瞬時に理解した。
 しかし、なぜ自分がこんなところに…?
 そう考えた時、ユイシィはようやっと思い出した。
(…そうか、私…シオンさんの弟だっていうあの人に首を絞められて…)
 何も判らぬまま、弟だという襲撃者を手にかけようとした夫を必死に止め、激昂した襲撃者に頸動脈を圧迫され続け…そこから先は覚えていない。意識障害などの後遺症がないことから、おそらくは気絶したのだろう。そしてどういう経緯でかは判らないが、襲撃者にここへ連れて来られた…そんなところではないだろうか。
(って、ちょっと待って。私…もしかしなくても人質にとられたってこと?)
 そうとしか考えられなかった。でなければ自分がここにいる理由の説明がつかない。
(冗談じゃないっ、囚われのお姫さまなんて……こんなこと、万が一お兄ちゃんに知れたらとことん笑われるっ!)
 ユイシィの脳裏に、故郷で伯父と暮らしているはずの兄の…腹を抱えて大笑いする兄の顔が思い浮かぶ。
 自分の失態のあまりの恥ずかしさに立とうとするが、急激な眩暈に襲われたユイシィは身体に力が入らず、すぐにへたり込んでしまった。
 その衝撃からか、ぺり、と顔から何かが剥がれて視界に入る。
 よく見ればそれは自分の髪の毛のひとふさだった。☆Tao☆での戦闘で負った怪我…額からの出血が髪に張りつき、固まったのだろう。自慢の青い髪は酸化した血で赤黒く染められ、がっちりとまとまってしまっていた。
 ユイシィはため息をひとつつくと、身体を引きずるようにして壁際へと這って向かった。身体は相変わらず言うことをきいてくれなかったが、ようやく壁際までやってくると、壁に背中を預けるようにして座る。
 しばらく周囲を眺め、落ち着きを取り戻し。
 ユイシィは天井を見上げると、口ずさむように歌を紡ぎ始めた。

この世界に生まれた 小さな光
ゆらりゆらりと眠ってる
生まれてきたのは何のため?
見つけに行こう 立ち上がって輝くために

想いは祈りとなり天(そら)を駆け巡る
進むんだ あきらめずに
西風(かぜ)が僕らを導くから

溢れる勇気 疾走す(はし)る
真っ直ぐな この想いは

誰にも 止められはしないさ

いつかの約束 夢と遺志
小さな希望 携えて

征こう まだ見ぬこの道の先へ

 ユイシィの透き通る声が歌を紡ぐにつれ、傷がみるみるうちに塞がっていく。
 属性【体】の回復アビリティ―――ガッツソング奥義のなせる業である。
 だんだん傷跡も目立たなくなり、何曲目かの歌が終わりにさしかかった頃。
「…なんだ、ようやっとお目覚めか」
 声のしたほうを振り向き、その声の主の姿を直視して―――ユイシィは驚愕のあまり息を呑んだ。
 鉄格子の前にはいつの間にやってきたのか、あの襲撃者の少年が立っていたのだが、問題はそこではなかった。襲撃者の少年の身体はすべて―――頭のてっぺんからつま先まで、鮮血にまみれていた。まるでついさっき、殺し合いでもしてきたかのように。
「あ、あなた、その格好…!?」
 鉄格子越しに絶句するユイシィに、青い髪の少年は何でもないことのように自身のなりを一瞥すると、
「ああ、これか。何、僕の許可なくここに住み着いたカス共を黙らせてやったのさ。この僕に生意気な口をきいたんでね」
 いけしゃあしゃあと言ってのける。
 カスというのはおそらくシオンたちではない誰か…盗賊か何かで、何らかの理由でここへ移ってきた者たちなのだろう。そしてこの少年と鉢合わせし、ここの所有権でもめて殺された―――。
「なんてことを…!」
「あれ? 意外だな。盗賊なんて連中は百害あって一利なしな連中なんだろ? そういう連中を掃除してやったんだ。感謝されても文句言われる筋合いはないと思うけど?」
 悪びれた様子もなく、肩をすくめて平然と語る少年に、ユイシィは猛然と反撃し出す。
「盗賊だからと言って、みんながみんな悪人というわけじゃありません! 盗賊になってしまったことにだって、何らかの理由があるはず…!」
「理由? それまでの自分が立ち行かなくなった。だから盗賊になった。それ以外に何の理由があるのさ?」
 ユイシィの言葉を遮り、眉をひそめて不思議そうに問い返す少年に、ユイシィは怪訝な表情を浮かべた。
 この少年、歳は自分とさほど変わりないようだが、中身がなんだか子どものままのように見える。まるで躾のまったくなってない悪ガキのようだ。
 少年を見据えたまま、ユイシィはおもむろに口を開いた。
「あなた…シオンさんの弟だって言ってたわよね? シオンさんにしても盗賊にしてもそう…どうして殺すの?」
「『どうして』? 決まってるじゃないか! 兄さんを殺すのは僕が落ちこぼれじゃないことを証明するため! 盗賊を殺すのは邪魔だし生意気だからだ!」
 牢に閉じ込められた武人の少女に向かってまなじりを吊り上げ、少年は肩を怒らせてわめき散らす。
 そのリアクションを見て、ユイシィは何となく理解した。
 ―――この少年には、一般常識が備わっていないのだ、と。
 まるで少し前の夫を見ているかのような気分だ。自分の中のルールと物差しでのみ判断し、周囲を省みずに暴走しまくった頃のシオンを。
 最近は多少マシになったが、この少年はその頃のシオンよりもひどい。
 少年は『これが普通だ』と認識しているのだろうが、一般社会では少年の常識は『普通』ではないのだ。誰かがそれを教えなければ、きっとずっと知らないままだ。
 ポーカーフェイスを保ったまま、目を逸らさずにいると、ようやっと落ち着いたらしい少年はユイシィに向き直り、少し睨むような目で口を開いた。
「…それより、お前に聞きたいことがある」
「…?」
「お前、兄さんの何なんだ?」
 戸惑いながらも訝しげに訊ねる少年。礼節もわきまえていないような奴に「お前呼ばわりするような人に教える義理はない」と突っぱねてもよかったが、ユイシィは少し考えて、こう答えた。
「『お前』じゃありません。私にはユイシィという名前があります。あなたが呼び方を改め、なおかつあなたの名前を教えてくれるなら、今の問いに答えてあげます」
「な、何だそれ…僕をバカにしてるのか!?」
「バカにしてるわけじゃありません。私はあなたの名前を知らないんですよ? 名前が判らないと、呼ぶ時に困るでしょう? それに、普通は『人に名前を聞く前にまず自分から名乗るのが礼儀』ですよ?」
 激昂する少年を説き伏せることができれば、自分が気を失ってる間に起きたことを聞き出しやすいはず。一縷の望みを賭け、ユイシィは少年から目を逸らさずに見つめ返した。
 ユイシィに言われ、しばらく少年は唸っていたが、やがて自分の中での考えがまとまったのだろう。しぶしぶではあったものの、『お前』と呼ぶことを改めると約束し、自分の名前はエイルだと名乗った。
「さあ、お前の…じゃない、言うとおりにしてやったぞ。兄さんの何なのか、すぐに教えろ」
 エイルの慇懃無礼な態度は相変わらずだったが、とりあえず約束は守ったので、ユイシィは素直に情報を教えることにした。
「私はシオンさんのお嫁さんになった…つまりは妻です。あなたとは関係上、義理の姉弟になります」
 ユイシィはきっぱりと言い切った。
 2〜3秒の沈黙があって、それから予想だにしていなかったことに言葉を失っていたエイルの嗤い声が響く。
「なるほどね、兄さんの…どおりで兄さんの反応が違ったわけだ!」
 ひとしきり嗤った後、エイルは言ってユイシィを睨み据えた。
「で、兄さんと夫婦になった理由は何だ? 兄さんが優秀だったからか?」
 先程までとは違って明らかに殺気立ち始めたエイルに、しかしユイシィは少しも動じることなく、ひた、と見据えて切り返した。
「優秀だったからじゃありません。シオンさんの人柄に惹かれていっしょになったんです。私は個人の力の優劣で人を差別したりするのは大嫌いですから」
「嘘つけ!」
「ウソじゃありません。単純に力の強い人やレベルの高い人は確かに存在しますが、それだけですべての人の心が動くわけじゃない。これは私も然りです。私はあなたのお兄さんが…シオンさんが人の心を持った男性(ひと)だったからこそ、お付き合いして…結婚したんです」
 その気持ちに偽りはない。
 冒険者になりたてで☆Tao☆に入団したユイシィ。そこで初めて会ったにもかかわらず、シオンは親身になって接してくれた。
 シオンにとっては当たり前の行動だったかもしれないが、ユイシィから見れば、駆け出しの女冒険者だった自分にも分け隔てなく、ひとりの人として付き合ってくれたし、皆からも信頼される優しい男性(ひと)であった。そんなシオンに心惹かれていった。
 妻となることを誓ったあの日も―――自分は生涯、この人の力になろう。襲い来るどんな絶望にも負けず、この人を護る剣になろうと決めたのだから。
「あなたは『兄は優秀で、自分は落ちこぼれだ』みたいなことを言っていたけど、何を基準にそう思ったの? あなたはシオンさんのこと、何も知らないじゃない。お互いのことをよく知りもしないで、腹を割って話そうともしないでただ『殺す』なんて…そんなの、悲し過ぎます…!」
 ユイシィの瞳から涙がひと筋、こぼれ落ちた。
 生まれる前からこれまで離れ離れになっていた兄弟なのに、ただ殺し合うことを望むエイル。そんな彼のやろうとしていることが、どうしようもなく切なくて、許せなかった。
 ふらつく身体で壁に手をついて支えながら立ち上がり、ユイシィはさらに続ける。
「今からでも遅くない。シオンさんと話して…!」
「うるさい! 黙れ!」
 ユイシィの言葉を遮って、突如、怒声とともに放たれた衝撃波がユイシィを襲う。
 動くことすらもままならない身体がそれをかわせるわけもなく、モロにくらったユイシィは指ひとつ動かせず、硬直したままその場に崩れ落ちてしまった。
(まさか、紅蓮の雄叫び…?!)
 全身が麻痺し、力が入らない。信じられなかったが、ユイシィの知っているアビリティの中で最も該当するであろうものはそれしか思い浮かばなかった。
「さっきから黙って聞いてればゴチャゴチャと…! お前みたいな奴に、生まれてからずっと兄さんと比較され、『落ちこぼれ』と言われ続けてきた僕の何が判る?! それ以上生意気な口を利いたら、兄さんの前にまずお前から殺すぞ!」
 発せられたオーラだけで殺されそうな殺気を放ち、エイルは怒声を上げる。
 と、おもむろにニヤリと嗤うと、エイルは言葉を吐き捨てた。
「そうだ…兄さんの目の前でお前を殺してやる。そうすれば兄さんも本気になって僕と死合ってくれる…!」
 呟くエイルの虚ろな眼は恍惚とし、口元にはわずかに嘲笑が浮かぶ。
「お前の命もそれまでの間だ。せいぜい今のうちに楽しんでおくんだな」
 そう吐き捨て、エイルは牢獄を出ていく。
(シオンさん…みんな…!)
 麻痺で動かぬ身体であとに残されたユイシィ。その意識は次第に闇に呑まれ…そしてふっつりと途切れた。

 曇天の空の下、目の前には人っ子ひとりいない荒涼とした大地が広がっている。
 風は砂埃を舞い上がらせ、しばしば遠くに見える地平線を霞ませた。
 シオンは今、その大地の真ん中に立っていた。
(どこだ、ここは…拙者は☆Tao☆にいたはず…!)
 辺りを見回しながら立ち尽くしていた時。
 突如として、背後が明るく、熱くなった。
 振り向くと、ひとつの街が炎に包まれていた。炎は街全体を舐め尽くす勢いで、もはや手の施しようがない。
 と、シオンはあることに気がついた。
 街の入り口や建物の並び…細部に至るまで見覚えのあるものだった。
 もしやと思い目を凝らすと、入り口に掲げられた看板には…いつも買い物に行く街の名がハッキリと記されていた。
「いかん! 街の人たちが!」
 あわてて街へ飛び込み、逃げ遅れた人がいないか探し始めるが、街の人たちは避難したのか、誰も見つけることができない。
 燃え盛る炎と熱風が吹き荒れる中、なおも助けるべき民を探して走り―――やがて噴水広場らしき場所へとたどり着く。
 と、噴水のところに人らしき影がふたつ見える。
 よかったと安堵して、駆け寄ろうとし…シオンは足を止めた。
 噴水のところに見えたふたつの人影。そのひとつの身体から何かが生えた。身体から何かを生やしたものはしばし痙攣していたが、やがてぐったりと力を抜き、動かなくなる。
「お、おい! 何を…!」
 何が何だか判らないまま声をかけようとして、シオンは目を見開く。
 身体から何かを生やし、動かなくなったもの…それは最愛の妻・ユイシィだった。身体から生えたと思ったものは巨大な両手剣。それがユイシィの身体を深々と刺し貫き―――ユイシィの瞳はガラスのように虚ろで何も映さず、口元からはひと筋の紅(あか)が流れる。
 そして嘲笑うかのようにユイシィを貫くのは、自分の弟だと名乗ったあの襲撃者の少年・エイル―――。
 何が何だか判らない。身体の奥が熱くなり、喪失感で震える。
「う…うあああああああああああああああああああああああああああああっ!」
 シオンは自分の叫びとともに『飛び起きた』。その反動で鋭い痛みが身体中を駆け巡り、シオンは痛みに顔を歪め、身体をくの字に曲げる。
 荒い息をつきながら、痛みが治まるのを待つ。ややあって、周囲を見回してみると、そこは☆Tao☆の診察室。今いるのはそのベッドの上だと理解したシオンは、頭を支えながら胸を撫で下ろした。
(夢、か…)
 不吉過ぎる夢だった。あの弟…エイルにユイシィを殺される夢。
 シオンは無意識のうちに自分の肩に手をやる。
 今は包帯で隠れているが、シオンの背中には大きな傷跡がある。
 その傷は昔、組織を脱走する際に負った傷だった。
 厳戒態勢が敷かれた警備網。各地から拉致された人々をモルモットのように扱う研究者や冒険者としての力を持った警備兵たち。入ったら決して出ることの叶わぬ堅固で無機質な施設。
 そんなところで、幼いシオンは人体実験を繰り返された。
 空はいつもどす黒く、希望さえも見いだせない施設でのつらい日々。シオンは持って生まれたその能力ゆえに、拉致された人々の中でも特に目をつけられた。
 研究者たちのいいように身体をいじられ、絶対に逃げ出したりできないように常に拘束具と自縛衣を装着された。
 幼少期を人権などまったくない徹底的な管理の下で過ごし、月日は流れて7年後。ようやく脱走のチャンスが訪れた。
 いつものように研究者たちからの人体実験を受けたあと、動けないように拘束具と自縛衣でがんじがらめにされ、あてがわれた檻に連れて行かれて放り込まれ…信じられない幸運が巡ってきた。 警備兵が檻の鍵をかけ忘れたのだ。
 シオンは自縛衣と拘束具を自力で破ると、今までの復讐とばかりに施設を破壊しながら脱走を試みた。
 捕縛に来た警備兵から適当な剣を奪い、次々とアビリティで斬り伏せていった。
 シオンが暴れ回るうち、どこかで何かが引火し、破壊された施設は瞬く間に火の海に包まれた。
 炎が辺りを蹂躙する中、自分を取り押さえに来る者たちをすべて叩き伏せ、これでようやっとこんなところから逃げ出せる…肩で息をしながら歩き出そうとしたシオンの背中に、突如走った灼熱感。反射的に振り向きざまの一撃をくらわせた。
 服装からして警備兵のひとりだろう。顔は見なかったが、その警備兵によって、シオンの背中は瞬く間に血の朱(あか)に染められていった。
 痛む背中をかばいながら身体を引きずり、どこをどう歩いたかは覚えていない。次にシオンが目覚めた時には、服装からして楓華の生まれの者だろう。ボサボサの長髪を首の後ろで束ねた剣士が微笑みながら看病してくれていた。
 寝かされたベッドのすぐ脇の窓から飛び込んでくる太陽の眩しさと空の青さから、ランドアースだということは判ったが、日常生活に支障はないくらいの行動レベルと、自分の誕生日などは覚えていても、組織に拉致されてから脱走するまでの過去に関する記憶を無くしてしまっていたシオンは、生きていくためにその楓華の剣士に剣を習い―――やがてひとりでもやっていける、一人前の冒険者となった。
 冒険者になってからというもの、紆余曲折あったが……あの時の炎の熱さと血の匂いは今でも覚えていて…今後一生、決して忘れることはない。
(ユイシィ…!)
 背中の傷が疼くのを自覚しながら、シオンは拉致された妻の顔を思い浮かべる。
 怪我の具合は大丈夫だろうか、酷い目に遭わされたり…いや、それどころか殺されていないだろうか…そんなことを考えれば考えるほど、胸の中の不安と焦燥感はどんどん膨らんでいく。
(…やっぱり駄目だ。ぐずぐずしていられない。拙者ひとりでも助けに行かなければ…!)
 怪我が治り切っていない身体を無理やり起こし、動くたびに走る痛みに苦悶の表情を浮かべながらベッドから降りたシオンは、そばに立てかけられていた愛剣を手に取ろうとして、視界内に蠢くものを捉える。
 本能的に剣を抜こうとして―――柄からその手を離した。
「…こんな時間に、そんな身体でどこへ行く気だ?」
「メリシュ殿…」
 そう。暗がりの中、音もなく静かに入ってきたのはメリシュランヅだった。
 しかし、今のメリシュランヅは先程までの漆黒の全身鎧姿ではない。
 砂漠の民が愛用しているような象牙色のローブとズボンをゆったりと着こなし、要所をベルトでまとめている。そして、なぜか頭にはターバンが巻かれていたりする。
 メリシュランヅは手近なテーブルに布のかかった何かを置き、棚の引き出しから火口箱を取り出すと、ランプのいくつかに明かりを灯していく。
 ややあって明かりが灯り、真っ暗だった診察室が明るくなると、メリシュランヅは近くにあった椅子を引き寄せ、それに腰かけた。
「怪我が治り切っていない身体で、何を為そうというんだ?」
 メリシュランヅはシオンにベッドに横になるように促しながら穏やかな口調で問いかける。シオンは不本意ながらもベッドに戻るが、横にはならず起き上がった状態で室内の一点を見つめながら、おもむろに口を開く。
「これからユイシィを助けに行く。奴が…拙者の弟だと名乗ったあいつが、ユイシィに何をするか判らない。ユイシィに危害が及ばないうちに奴を殺す…」
「昼間、一戦交えて傷口が塞がり切っていないその身体でか?」
 メリシュランヅのそのひと言に、シオンの手が一瞬震える。
「今助けに行ったところで返り討ちに遭うのは目に見えているだろう。…シオン、何をそんなに焦っているんだ?」
「焦りもするさ!」
 突然、シオンは激昂した。声を張り上げたせいで怪我に響き、身体に負担がかかっているはずだが、そんなことはおかまいなしにさらに言葉を続ける。
「ユイシィが攫われたんだ! 拙者の力が足りなかったばかりに…いや、そばにいなかったばかりに、つらい目に遭わせて…今、あいつにどんなひどい目に遭わせてられているかしれない。そんなの、放っておけるわけがないだろう!」
 シオンはいつの間にか、目に涙すら浮かべていた。
 おのれの不甲斐無さに心底腹を立てているのだろう。半ばパニックになりかけているようにも見えた。
「落ち着くんだ。何も『ユイシィを助けない』と言っているわけではない。今動くのは早計だと言っているんだ」
「なぜ!」
 興奮状態にあるシオンに、しかしメリシュランヅは動じることなく、
「シオンの身体は今、休息を必要としている状態だ。今、単騎で弟のいる場所へ乗り込んだとしてもだ。怪我が治り切っていない身体で、弟に勝てる自信はあるのか?」
「それは…この命に代えてでも、ユイシィを…!」
 思い詰めた表情で手を握りしめるシオン。
 しかし、メリシュランヅは穏やかな表情を崩さず、シオンの肩に手を置き、静かに語りかける。
「シオン…ユイシィのために動こうという気持ちは痛いほど判る。しかし、だ。今、シオンが取ろうとしている行動は間違いだ」
「拙者の行動が、間違い…?!」
 まさか間違いと言われるとは思ってなかったシオンに、メリシュランヅは静かにうなずいてみせる。
「シオンは『ユイシィを助ける為なら自分の命など惜しくはない』…そう考えているのではないか?」
 シオンは黙ってうなずいた。
 シオンにとって、ユイシィは自分のすべてなのだ。そのユイシィを失ってしまったら、自分はどうなるか判らない。
「しかし、その考えは良くない。はっきり言って間違っている」
「だから、どうして間違っているというんだ?」
 わからないとでも言いたげな目で、シオンはメリシュランヅに尋ねる。自分は間違ったことは言っていないのに。メリシュランヅはシオンのその目を受け止めつつ、口を開く。
「シオンが死んでいちばん悲しむのは誰だ? シオンの命と引き換えにしてユイシィが助かったとして、ユイシィが喜ぶと思うか?」
「あ…!」
 メリシュランヅに指摘され、シオンははっとして肩を落とした。
 メリシュランヅはシオンの肩に手を置いたまま、諭すように静かに語りかける。
「なあシオン…シオンがユイシィを何より大切に思っているのはみんなが知るところだし、みんなもユイシィを大切に思っている。それは間違いない」
 メリシュランヅは真面目な表情でシオンを見つめる。そしてその意思をはっきりと言葉に乗せる。
「だからこそ、だ。ユイシィを悲しませるような行動はするな」
 シオンはおもむろに顔を上げ、メリシュランヅの顔を見た。
 『ユイシィを悲しませるな』―――それは、ユイシィの故郷へ結婚の報告に行った時、ユイシィの兄や伯父にも言われた言葉だった。
「義兄上(あにうえ)や義伯父上(おじうえ)も、同じことを言っていた…だからこそ拙者は、何をおいてもユイシィを優先することを…」
「そうじゃない」
「?」
 シオンの言葉に割って入ったメリシュランヅに、シオンは眉をひそめた。
 シオンがなぜそうじゃないのかを問いただそうとする前よりも一瞬早く、メリシュランヅは言葉を継ぐ。
「ユイシィの兄や伯父さんが言いたかったのはおそらくそうではない。ユイシィが悲しむすべてのこと…誰かが傷ついたり死んだりすることなど、そんな悲しいことに遭わせてはいけない。何があってもその悲しみからユイシィや、ユイシィとつながりのあるみんなを護り通せ…そう言いたかったんだと思うぞ。もちろんシオン、お前自身もな」
 メリシュランヅの言葉のひとつひとつが、シオンの心に粉雪のように降り積もり、溶けて沁み渡っていく。
 シオンはじっと、己の手を見つめてみた。
 幼い頃から血に染められてきた手…誰かを傷つけ、誰かを守れずに終わった忌まわしき手。
 だが、そんな手でも、護れるものができた。
 数年前、己の身を盾として仲間を護り、散っていったエンジェルの女性はその手に希望を託した。ユイシィを大切に守り、育ててきた義兄や義伯父はその手の可能性を信じてくれた。そして何より…ユイシィはその手を取り、温めてくれた。仲間たちとともに信じ続けてくれた。
 知らず知らずのうちに涙が溢れた。自分は何も判っていなかった。こんな駄目な自分にこんな大切なことを気付かせるだけなら、もっとやりようはあっただろうに。
 それでも、みんなは信じてくれていたというのか。自分がいつかこのことに気付くであろうことを。
 そう思うと、シオンは皆に感謝すると同時に謝りたくなった。
 涙するシオンを見守りながら、メリシュランヅは思い出したように立ち上がると、テーブルに置いた布のかけられたものを持ってきた。
「そうそう、これは団長からだ。こぼすなよ」
 メリシュランヅはそう言って、持ってきたものをシオンに手渡した。
 渡されたものを受け取る。手に伝わる感触から、手渡されたものはトレイだろうと判断したが、何やら乗っているらしく、手にはかなりの重量がかかっている。
 かけられた布を取ってみると、トレイにはハムとレタスとチーズを挟んだサンドイッチにオレンジジュース、それとワンポイントに四つ葉のクローバーが描かれた小さなメッセージカードが乗っていた。
 幸運を呼び込むと言われているその小さなカードには、すっきりとした文字でこう書かれていた。

『ユイシィを助けるため、明日はいっしょにガンバロー! ユウコ』

「ユウコさん…!」
 シオンは胸が熱くなった。
 ユウコは周りが見えなくなっているシオンのために、心をこめて作ってくれたのだろう。他でもない、ユイシィがよく作ってくれたサンドイッチを。
 ユウコの気遣いに感謝しながらサンドイッチを食べるシオンに、メリシュランヅは頃合いを見計らって言葉を投げかける。
「シオンは何を思い、最終的にはどうしたいんだ? 俺はそれが知りたい。俺もまだまだ未熟で若輩者だから、完璧に答えることはできない。だが、伝えなければ何も始まらないんだ。だから…話してみてくれないか? 何でもいい。俺たちを信じてくれ」
 メリシュランヅはひた、とシオンの目を見つめた。
 「皆さん、シオンさんが心を開いてくれるのをずっと待ってるんですよ?」―――以前、ユイシィが言っていた言葉が脳裏に蘇ってくる。
 物心ついた時から他人に傷つけられ、裏切られ続けた自分。
 もう裏切られたくない。傷つけられたくないがために殻に閉じこもり、壁を作っていた自分に、このメリシュランヅという男は妻と同じ言葉をかけてくれた。
 妻は言っていた。「みんなはシオンさんを信頼してるんです。あとは…シオンさんの心次第ですよ」と。
「メリシュ殿…拙者は…」
 もう、失いたくない。
 血塗られた人生を歩んできた自分でも、絶対に護りたいと思える大切な人ができた。今度こそ、自分の手で護り通したい。
 そのために、もう迷わない。
 妻の言うとおり、今一度、信じてみよう。
 シオンは顔を上げると、メリシュランヅを見据えてハッキリと告げた。
「拙者は、ユイシィを助けたい。あの笑顔を護りたいんだ。だからメリシュ殿…力を貸してくれ。お願いだ」
 頭を下げるシオンに、メリシュランヅは穏やかな笑みを浮かべ、シオンの肩を抱いて言った。
「よく、言葉にしてくれたな。俺は…いや、みんなもだろう。それをずっと待っていたんだ」
 そう言ってメリシュランヅはシオンの肩から手を離すと、己が胸に手を添え、誓いの言葉を立てた。
「貴殿の願い、しかと承った。俺の全力で以てそれに応えよう」

 シオンの言葉とメリシュランヅの誓いが交わされた診察室。
 その診察室のドアの前に、中の様子を窺っていたふたつの人影があった。
「…な? メリシュに行かせて正解だったろ?」
 ドアの隙間から顔を離し、まだ隙間から中の様子を窺っている片割れに話しかける人影…カナトは視線を落としながら問いかける。
「…うん、メリシュに任せてよかった」
 診察室のドアをそっと閉め、もうひとりの人影…ユウコはカナトに向き直り、小声で満足そうにうなずいた。
 最初、シオンの説得には団長であるユウコ自らが向かうつもりでいたが、メリシュランヅが一歩前に出て、
「シオンの説得には俺が行こう。すまないが、団長は手出しせずに見守っていてくれないか」
 と言い出したのだ。
 いつものメリシュランヅとは打って変わって、真摯な視線と態度。そしてカナトからも「相棒に任せてみてくれ」と後押しされたので、少し迷ったが任せることにした。
 そして今―――シオンはメリシュランヅの説得によって自身の暴走を抑え、落ち着きを取り戻してくれたようだ。ちゃんと自分の思いを言葉にしてくれたのだから。
 ユウコは安堵に胸を撫で下ろすと、あらためてカナトを見遣り、思いを口にした。
「カナト。明日は必ず、ユイシィを助けてみんなでここに帰って来ようね」
「おうさ」
 ユウコの切なる願い。その瞳に映る希望の光―――カナトはそれに、笑顔で力強く応えた。


 ●決意の朝に
 ランドアースに陽がまた昇る。
 支度を整えたゼロはまだ涼しいうちに、再び☆Tao☆へとやってきた。
 本当は昨日、☆Tao☆に泊っていけばと勧められたのだが、骨董品店の団長に事情を説明して他の旅団に協力することへの許可を取っておきたかったし、自分の準備も入念にしておきたかったこともあって丁重にお断りした。
 早朝、他の団員に余計な気遣いや心配をかけないために素早く身支度を整え、骨董品店の団長に見送られて旅団を出てきた。緊張しながらも☆Tao☆への道を一歩ずつ進んでいく。
 まだ人のまばらな街を通り抜け、静かな森の小道を抜けて大きく開けたところに、☆Tao☆の看板が見えてきた。
 正面玄関の前にはすでに☆Tao☆の面々が集まっており、自分の荷物の点検をしたり、はやる気持ちを抑えるため、深呼吸をしたりしている。
 ゼロが駆け寄ると、集まっていた面々が口々に「おはよう」と挨拶した。
「おはようございます。すみません、遅くなって」
「ううん、だいじょぶだよ。みんなさっき出てきたところだから」
 駆け寄ってきたゼロに、ユウコは笑顔で答える。
 今し方やってきたゼロの他にはユウコを始め、シオン、カナト、メリシュランヅ、ミュシャ、スフィアの6人が集まっていた。皆の身体のキレから、ひと晩で怪我や体調も戻ったようで、それぞれおのれの装備で固めており、準備は万全といったところだ。
 しかし、ゼロはそれよりも姿の見えないひとりが気になって、率直に聞いてみた。
「あの、シズナさんは?」
「それがね…」
 ユウコが話そうとした時、ゆっくりと玄関の扉が開いた。
 中から出てきたのはもちろん―――。
「シズナ!」
 そう。セイレーンの重騎士のシズナだった。
 昨日、エイルに愛用の剣を折られ、暗く沈んでしまっていたシズナであったが、今朝は打って変わって、晴れやかな表情をしていた。
 あれからずっと迷って…戦うことを決めたのだろう。シズナの背には、折られた愛剣の代わりに身の丈ほどもある巨大な術扇が背負われている。
「すみません皆様、お待たせしてしまって。お弁当を作っていたものですから…」
 そう言うと、シズナは手に提げた大きな風呂敷包みを見せた。
 シズナが作ったというお弁当は、風呂敷によって縦に長く包まれている。
「ユイシィさん、昨日のお昼から何も食べていないのではと思って、朝早くから作っていたんですが、用意に手間取ってしまいました」
 「もちろん、皆様の分も用意してありますよ」と、シズナは笑顔で付け加える。その表情には、もう迷いは感じられない。
 シズナは風呂敷包みを下ろすと、一転、真剣な眼差しを皆に向け、厳かに語り始めた。
「ユウコさん、皆様も。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。私もユイシィさんを助けるため、この作戦に参加させていただきます。どうか、よろしくお願い致します」
 彼女はそう言うと、深々と頭を下げた。
 それは、彼女なりのけじめだったのかもしれない。仲間の一大事に自分の剣を折られ、頭が混乱してしまったことに加え、すぐに「助けに行く」ことを決意しなかった自分に対する罰だったのかもしれない。
 いつまでも頭を上げないシズナに、ユウコは歩み寄ると、にっこりと微笑んで言った。
「シズナ、顔を上げて。シズナの決意と心遣いは嬉しく思うよ。それに、シズナならきっと『ユイシィを助けに行く』って言ってくれるって信じてたもの」
「そうそう。暗く沈んでるなんて、シズナお姉ちゃんらしくないよ♪」
 ミュシャも笑顔で答える。そして他の面々も…静かに微笑み、何も言わない。
 みんな、信じていたから―――シズナはこんなことで逃げるような女性ではない、と。
「皆様…ありがとうございます」
 シズナは目に涙を浮かべ、何度も何度も頭を下げた。仲間とは、こんなにも温かいものであると、あらためて身に沁みて判った。
 これで、自分も戦える。皆の力になることができる―――そう思いながら。
「…さてと、メンバーも揃ったことだし、出発するとしようか」
 しんみりしてしまった場の空気を入れ替えるように、カナトが伸びをしながら宣言する。自身の頬に貼っていた絆創膏を剥がし、気合いを入れて。
「うむ、我々の反撃開始だ」
「でやんす♪」
 メリシュランヅが力強くうなずき、スフィアが軽いノリで拳を突き上げる。
「昨日は不覚を取ったが、今日はそうはいかない。我が弟・エイルを倒し、必ずユイシィを助けてみせる!」
 自身を見失っていたシオンも、気合い充分に決意を告げる。
 そんな最中、皆の言葉を黙って聞いていたユウコは大きく深呼吸すると、伏せていた瞳を開き、想いを口にする。
「みんな、今日はユイシィを助けて必ずここへ…☆Tao☆へ誰も欠けることなく帰って来ようね!」
「おう!」
 団長の言葉に皆が応え、ついにユイシィを救い出す最強チームが動き始めた。皆、一様に胸を張り、力強く歩を進める。まるで進軍を開始した一個大隊のようだ。
 そんな中。
「ゼロさん」
 シズナは小走りに駆け寄り、ゼロに声をかけた。
 シズナはお礼を言いたかった。惑う自分にひと筋の光を差し、導いてくれたこの青年の心意気に感謝の気持ちを伝えるため、そばに行って話しかける。
「昨日はアドバイスありがとうございました。私が今日、皆さんに同行できるのも、ゼロさんのおかげです」
 しかし、ゼロはとぼけた様子で。
「あれ…僕、何かアドバイスしましたっけ?」
 セイレーンの女重騎士のほうを振り返り、肩をすくめてみせる。
 シズナは最初、不思議に思った。なぜそんな態度を取るのかと。
 しかし、少し考えてみて、すぐに理解した。自分に劣等感を感じさせないようにするための、彼なりの気遣いだ、と。
「ゼロー、シズナー! とっとと来るでやんすよー!」
 道の先でスフィアが呼んでいる。気づけばユウコたちも足を止め、ゼロとシズナを待ってくれている。
「さあ、急ぎましょう。ユイシィさんを助けられるのは、僕たちだけなんですから」
 ゼロはそう言って、手を差し伸べる。穏やかに微笑むストライダーの青年からは、微塵も不安を感じない。
「ゼロさん…はい!」
 シズナは力強い返事をすると、ゼロの手に自分の手を預ける。手を預けた瞬間、心のどこかにあった恐怖が、すうっと消えていくかのような感覚を覚えた。
 ゼロはというと、シズナの手を握ると、シズナをリードして駆け出す。待っている人たちに追いつくために。
 想いは連なり、輪を作る。
 それは、ほんの些細なことかもしれない。あるいは大変な事態からかもしれない。
 雲ひとつない空の下、昇り始めた太陽のように、冒険者たちは勇み征く。
 仲間を助ける―――ただそのひとつの目的のために。
 今、冒険者たちは決意を胸に歩き出した。