☆Tao☆疑似シナリオリプレイ(bV)
☆Tao☆の一番暑い夏休み
第五話:崩壊(ホ)
性欲をもてあます・メリシュランヅ(a16460)





【地に落ちて、目覚めし魂、闇の玉(チ)】
 日差しが強く、透き通るような青い空。その空に雲ではない、何か丸いものが浮かんでいる。いや、正確には落ちているのだ。遥か上空から、それは落ちてきている。その球体は・・・・・・。
「クラリィス様!」
 リディアから飛び出して、天空の島の端まで走ってきた二人。冒険者の力により封印されし石。己の断たれた右腕。叫ぶのは、七本槍の一人。エトワール。崩れ落ちる地面に身を任せて、ただ落ちていくのは。
 クラリィスの目には、燃え盛る大地が浮かんでいた。その両手に数多くの魂が握られている。世界の覇者となった自分を思い浮かべる。それは、彼女の最後の夢。
 我を失い、ただの屍同然となったクラリィス。だが、そんな彼女であっても、エトワールは命をかけて守ろうとした。エトワールは己の体を魔物に変化させ、クラリィスを守る。ただそれだけの為に。その体を球体の魔物へと。
「暖かい・・・・・・。」
 その球体に守られながら、クラリィスは落ちていった。遥か下。とある森の中。
 希望のグリモアのある場所より、北へしばらく行った森の中に小屋で一人暮らす青年がいる。世俗から身を離し、冒険者でありながらも、自分の住処周辺の平和しか守らない変わり者の青年が住んでいた。
 名を、悠久の裁判官・ダズ・ストールである。
 元々はフレイハルトで護衛士を務め、団員の中でも一番の知性派であり、山賊や犯罪人などを裁く任務を得ていた男でもある。そんな彼がそのような生活に身をやつしたのには大きな理由があった。
 それは、かつてのフォビアと呼ばれる魔物がインフィニティーゲートから軍団となってランドアース全体に脅威を齎した忌まわしき大戦。その最後の戦い、昼の突撃中の事である。
 最強部隊と言われた部隊隊長バートランドを先頭とした隊の中に、彼の姿があったのを知るものは、今となっては数少ない。最終戦の最中命を落としたものは史実では二名とされているが、本来は三名であり、行方不明者が一名。それが、ダズと、その婚約者であった。
 ダズは当時婚約者でも会った女性と共に、最強部隊の中核として策を練る役割を得、さらには突撃班の要ともなる位置に配置されていた。ダズ自身もそれを誇りに思っていた。闘いの中で、己の才を試せるのを喜んでいた。
 だが、乱戦の中、散り散りになってしまった二人が再び出会うことはなかった。一部の噂では、フォビアの一体が命の灯火が消える寸前、一人の女性を連れて地獄へと向ったという報告もあったが、誰も信じるものはいなかった。はては、行方不明となったダズの存在すら、元からいなかったように記録され、彼らは歴史上から姿を消す事となった。
 ダズはかろうじて一命を取りとめ、見も知らぬ森で目を覚ました。戦争の傷から記憶の大半を失ってしまい、重傷を負った体はもはや以前の闘いを行えるものではなくなった。
 傷つき弱った体のまま、朦朧としながら森を彷徨っているダズの目の前に、運命が訪れる。
 闇に輝く真円の石との出会い。それが彼の人生を変える事となった。
 闇の石。それは、肉欲を司る悪魔を封じた石。天空から落ちてきたその石は、永き時をその森の中でじっとただ何者かの手に渡るのを待っていたかのように。
 石が及ぼす力は、森の中へ嘗ては齎していた。森のあらゆる生命が発狂し、次々に息絶えて行った事があると言う。それは今から遥か昔の出来事。今は、ただ闇に光るだけ。
 しかし、ダズがそれを見た瞬間。心に衝撃が走ったという。見えるもの全てが違うように。聞こえる音全てが新しいものに。触れる感触は己に感動さえ生む。傷ついた体の痛みさえも幸せと感じる。それほどの衝撃。
 彼は躊躇する事無く、それを手に取った。
 その後すぐに体力が回復した彼は、今の住処へ隠れ住むようになる。石の魔力が生きているならば、その司る力に支配され、己の欲望をただ追求するものへとなるはずだが、彼は違った。石の魔力は、彼に違う形で力を与える事となる。それは、石に封印されし魔物の気まぐれなのか。それとも。
 森へと姿を消し、己の周囲だけをただひたすらに守っていく姿は、まるで愛しい人を守る騎士のようにも見え。それは最後の思いが、彼をその行動へ駆り立たせる原因なのだろうか。嘗て守れなかった者への、贖罪。
 その日の森は、異常だった。
 森の生き物が全てある場所から逃げてくるのだ。ダズは早速その場所へと向っていく。彼の運命が、そこから始まる。
 見えるは、球体の魔物。生きているとは思えなかった。球体の周辺の木々はなぎ倒され、地面には大きな窪みが形成されていた。激しい衝撃音が先ほど感じられたのは、このせいだという事がわかる。
 何処からともなく落ちてきたそれは、しばらくすると塵となり、地面に崩れていった。
 そして、その中から、一人の女性が姿を現した。
 褐色の肌を持ち、右手のない女性。悪魔のような尻尾を持つ、ノスフェラトゥーの女性。それは、生きていた。
「・・・・・・・。お帰り。」
 ダズは、そう言った。彼はノスの女を抱きかかえると、自分の住処へと帰って行った。
 その日、世界に大戦の火が降り注ぐ。その日。

【記録】☆Tao☆旅団員がリディアから帰宅する5日前。クラリィスが地上へと落ちた日。
 緑潤う森にひっそりと建つ、小さなログハウス。そこがダズの住処である。中には必要最低限の物しかなく、生活するのに必要な物だけが置いてある質素なものであるが、彼にはそれで十分だった。首から下げられた飾りが、今日も闇のように輝いている。それだけで、満足なのだ。いや、今は自分が何時も寝ているベッドの上に愛しい人が眠っているのが、彼にとって一番の至福。
 遥か上空から落ちてきたであろう、その女性は球体の魔物に守られて無傷である。無論、何かと闘った痕がある事から、正確には無傷ではないのだが。
 欠損した右手に包帯を巻き、体の血をタオルで拭い、清潔なベッドへと眠らせて冷たい水を少し、口に含ませた。女性は無意識にそれをただ飲み干した。それは、生きている証拠。生きたいという意思。
 彼女は夕方目を覚ます。何処からともなく打ち鳴らされる、狂気のような太鼓の音で。
「こ・・・・・・ここは?」
 目を覚ました場所。それは何処かの建物のようだ。クラリィスにはそれ以前の記憶がないようだ。しきりに周りを窺い自分の状態を確かめる。己の状態は、記憶の薄れた彼女にもうすうす理解できた。起き上がろうとしても、体に力は入らないようだ。空中に浮いているような浮遊感を感じている。
 なぜか、暖かいものに守られていたような、そんな夢を見ていた。
 目に、ふと一人の男性を目にする。笑顔でこちらを見て、喜んで近づいてくる。その笑顔に、見覚えはないはずなのに、ふと、懐かしい気分になった。
「やっと目をさましたね?おはよう。コズカ。」
 フォビア大戦で行方不明となった女性。クラリィス・コズカ。ダズの婚約者の名前・・・・・。
 クラリィスに、その名前が何故か。何故か、涙が溢れてきた。以前の彼女であれば、涙など流す事などあってはならないものである。しかし、己が何者であるかもわからぬようになり、しかし、魂はそれを覚えているかのように。心が叫ぶ。その名を。コズカ。私は、クラリィス・コズカだと。
「コズカ・・・・・・・?私の・・・・・・・名前?」
 涙を拭く事も出来ない右手を、左手で包むようにしながら。ただ、目の前にいる男性を見た。
「ああ。お帰り。」
 それを聞いて、何故か、頬が緩んだ。私、笑ってる?
 何故だろうか。その全てが彼になる。己の思いが。空虚な建物が、己に暖かさを運んでくるような。感覚。見えたものがある。闇の・・・・・・・石。
 そして、また眠りに入った。

【記録】☆Tao☆旅団員がリディアから帰宅する4日前。大戦の火は南方へと伸びる。
 朝早く目を覚ましたクラリィスは用意されたいくつかの食事をダズの手で食べさせてもらった。初めは何故か、凄く気恥ずかしい気持ちでいっぱいで、ただ嫌がる私の口に、彼は笑顔で。
「大丈夫。大丈夫だよ。」
 それが、私の気持ちを安らかにする。貴方は、誰?
 私は、何故。ここへ来たのだろうか。何故、傷を負っているのだろうか。聞いても彼は答えない。ただ、今は休んでいるんだと。ただただ、暖かい笑顔で。
 外には、大きな太鼓の音で森が震えているよう。森の動物達は、この周辺から逃げて行った。お昼は木の実。甘い、甘い。
 音の正体を聞いても、彼は笑顔だった。
「ここにいれば、安全だよ。もう、戦う必要なんて、無いんだ。」
 戦う。私が?何と戦うんだろう?痛い。頭。いや、右手。燃え上がる、失われた心。貴方は、誰。
 もうすぐ日が暮れる。夕日が、まるで燃える炎のように。あたりは昼間とは違い、気味の悪いくらいの静寂が。
 夜も彼の手から、森で取れた野菜などが綺麗に並べられた料理を食べた。体中に行き渡る生きている実感。貴方の温もり。それは、今の自分の全て。私は、昔。こんな生活を?貴方は、誰?知りたい。貴方の。心。
「お休み。明日は、外へ出てみようか。寝ているだけじゃ、体に悪いから。君は歩けるだろうから。」
 明日が、楽しみになる。外の静けさが、不安を感じさせ、彼の笑顔がそれを消し去る。

【記録】☆Tao☆旅団員がリディアから帰宅する3日前。大戦はついにユトゥルナへと及ぶ。
 昨日とは違う料理が用意されていた。彼が部屋に、朝いないと言うだけで、これほどに不安に狩られるのは、何故だろうか。慣れていない左手での食事は、その不安を表しているかのように。掴んでも逃げていく幸せが、取れない木の実を必死で掴もうとする左手。心。貴方の笑顔が早く見たい。
 昼前に彼は帰ってきた。誰かが外にいたような気配がする。彼の表情が何時もと違う。
「ごめんね。一人にしてしまって。大丈夫。心配いらないよ。」
 不安を打ち消すような笑顔。それを待っていた。私はふらつく足で彼の胸に飛び込んだ。暖かい。この感触。これが私の全て。失われた何かを、補うような感覚。貴方は、私の大好きな人?貴方は、誰。
 昼過ぎから、外へ出てみた。昨日した約束を。外は、ただただ静かだった。熱い昼間だというのに、凍えるような寒気が当たりに漂っている。彼の体の温もりが、私の心まで温めるよう。
 西に、炎のような明かり。夜。
 彼はずっと、その西を見つめている。ただ、ただ。
「どうしたの?」
 彼は、答えなかった。ただ、私の肩を抱き寄せてくれた。それだけで。
 私の全て。彼の全て。貴方と共にいる時間。過ごす時間。燃える炎。心の影。貴方は、誰。

【記録】☆Tao☆旅団員がリディアから帰宅する2日前。ユトゥルナの戦火は続き、護衛士が半壊。
 朝起きると、また彼がいなかった。暖かいスープと、書置きが一つ。
『今日は、帰れない。』
 部屋の掃除をした。彼の服を川で洗った。自分の為に食事を作るのは、まだ無理のよう。彼の料理。食べたい。
 暗がりに燃える西の炎が、こちらまで届きそうなくらいに伸びてくる。己の心のそこにある、昨日気付いてしまった闇。それを引き出すかのように。
 外には、誰かの気配が感じられた。近い場所ではないけど、確かに。私は、それを感じられる?彼ではない、誰かの存在。怖い。
 早く帰ってきて欲しい。
『今日は、帰れない。』
 心に闇が灯るよう。落ち着き無く、部屋を行ったり来たりする私の心は、貴方で満たされている。貴方は、誰。
 日が変わって、深夜に扉が開いた。
 素早くおきてみると、彼が、そこにいた。先日よりも厳しい表情をしている。何故?
 彼は何も言う事無く、私の頭をなでてくれた。私はそのまま眠ってしまったけど、彼はずっと、私の頭を撫で続けてくれていた様だ。まるで、何かを、手放さないように。何かを、脅えるかのように。

【記録】☆Tao☆旅団員がリディアから帰宅する前日。リディアの町で怪物が。
 朝から外が騒がしかった。数人の人間と、彼が小屋の入り口でなにやら言い争っている。
 耳を塞ぐ。何故だろう。心に灯る不安。恐れ。影。闇。炎。
 右手が、熱い。燃えるように。何かを憎んでいるかのように。忘れるな。忘れるな。そう言っている。
 私は、クラリィス・コズカ。彼だけが、全て。私は、誰。貴方は、誰。教えて。
 言い争いは、昼過ぎまで続いた。
 彼の顔は、怒りに震えていた。その日かわした会話は、無かった。
 それが、ただ自分の心に大きな穴を開けたように。声が聞きたい。笑顔が見たい。彼の温もりを感じたい。
 私は、誰?
 夜、彼は何も言わずに小屋を出た。
 そのまま、帰らない。

【記録】☆Tao☆旅団員がリディアより帰宅。大戦報告を受け、すぐに戦いへ向う。
 朝。彼の姿は見えない。今まであった朝の食事も。書置きも。温もりも。笑顔も。私も。
 置き去りにされたのは、気持ちだけではなく。
 孤独になって様々な事を独りで考えるようになった。一日が凄く長く感じる。人の、彼の温もりが欲しい。外には誰かの気配が感じられる。まるで一日中監視しているような。私を、ずっと食い入るように見つめるその目は、明らかに私を憎んでいるものだった。その目に、私のない右手が、燃えるように熱い。
 私の思い出は、ここから始まっている。それ以前の記憶は、欠片も残っていないのに。何故か人に、燃えるような怒り。憎しみ。それを感じるのだ。己を包み込む闇の感情。彼に感じる深い愛情とは全然違う、恐ろしい思いが心を支配していく。それが何なんのか、全くわからない。
 右手を見つめてみる。
 手はなくなっているのに、そこには掌を見ることが出来る。感じる事が出来る。感覚はある。何時から私の手は無くなってしまったのだろうか?傷口はまだ新しく、腕全体に残る痛みも感じられる。
 つい最近に、手を斬られる様な事が・・・・・・。
 思い出そうとすればするほど、憎しみが増す。その誰か。それを殺したくなるほど。
 私は、誰?
 私は、何?
 体を抱えたまま眠った私。深夜遅くに、温もりを感じて深い眠りに落ちた。彼の匂い。

【記録】☆Tao☆旅団員がそれぞれの持ち場へ向う。戦況は至って不利。
 朝起きると、彼はまた外で誰かと話をしているようだ。声は聞き取る事が出来る。
 ユトゥルナと言う街でミュントス軍との戦いに、彼に協力してほしいという内容だった。私には、全くそれが何を意味しているのか理解できなかったけど、彼がそれに連れられていけば、二度と会えない。それが強く伝わってくるのだ。
 しばらくして、彼は部屋に戻ってきた。外の人たちは帰ったようだ。
「コズカ・・・・・・・。行かなくては、ならないようだ。」
 重い口調で彼は言う。その顔は苦渋に満ちている。
「君は、ここで帰りを待ってくれ。必ず、必ず帰ってくるから。その印に、これを。」
 彼は自分の首飾りを私の首に。常闇のような、綺麗な真円の石。その首飾りを。
 行かないで。涙が溢れてくる。心の中に大きな溝が出来たように。彼の存在だけが、今の私を創っているのに。
 彼の手にしがみついて、首を横に振る。行けば、彼は帰ってはこない。それがわかる。
 想いは溢れて、声になる。
「行っちゃ駄目・・・・・・・。ここに、いて。お願い・・・・・・。」
 掠れる様な声。不思議と自分の存在を強く感じられた。
 彼が私を強く抱き締めてくれた。その瞬間。光を見た。
 燃え盛る炎の中、巨大な魔物に連れ去られる私と、傷だらけの、彼の姿。
 このビジョンは、何?記憶・・・・・・・・。
 彼は、身支度を整えて、それでも行ってしまう様だ。足取りは重く、気持ちすら沈んでいるのに。何故、戦いに趣くのだろうか。私には、何が出来る?
 胸の石が私に輝いた。まるで、道を指し示すように。
「貴方を、失うわけにはいかない。」
 私は少し遅れて彼を追う事にした。
 外に、見ない顔がいる。女性だった。私をずっと監視していた、あの目。あの感覚。私が身一つで部屋から出てきたのを見て、どうやら、それを止めるつもりのようだ。
 山菜を抱える女性は、それを売る行商になっているのだろうが、私には、それが偽装だというのを見抜けた。彼女の周囲に漂う空気が、それを感じられる。彼女は山菜を置き、私を見つめて言った。
「貴女を行かせる訳にはいきませんわ。お願いですから、お部屋に戻ってください。そうすれば、貴女がここにいる事は誰にも言わない。それで貴女はずっとここにいられるわ。」
 両手を広げ、まるで己が壁となるように。でも、その壁は、私には容易く越えられると感じられる。
「退いて・・・・・・下さい。私は、彼を、失いたくないだけ。」
 声はしっかり出ている。口調が少し、強い口調になっている。心に灯る、目の前の女性に対する、想い。怒り。それが心を支配する。私は首を左右に激しく振ってそれを追い払う。私は、彼だけいれば良い。
 彼女は少し、後ずさるような足運び。でも、気持ちは私を行かせまいとしている。
「行かせるわけにはいかないのですわ。貴女が戦えば、多くの人が死んでいく。それを止めるのが、私の仕事ですわ。だから、行かせるわけには、いかないのですわ。」
 毅然として立ち向かうその姿は、何故か、何かを思い出す。以前の、私の姿。憎しみが生まれる前の、私の姿を思い出す。
 そうか。この人も誰かを守りたいから。もっと力が欲しいと、何者にも願うような気持ちで縋ったあの時の私。その面影が何故か見える。力なく、私は。そう。私は。
 次の瞬間には、目の前に倒れるその少女の姿。
「ごめんなさい。でもわかって。私は以前の私にはもう戻らない。今、理解できたから。」

 クラリィスが去って数時間後、少女は目を覚ました。去り際に残したその言葉に、何故か不安のようなものを感じてならなかった。もう戻らない。その言葉は誰に向けたものだろうか。自分ではない誰かに向けたような。そんな遠い目をしていたクラリィスは、二つの顔を持ちながら両方を認め合っているような。
「私は、見届ける義務が。」
 決意を新たに、少女ドリアッドの吟遊詩人・メイ・ファ(a32022)はクラリィスの後を追った。遠き水面に浮かぶ街の方向から、血生臭い匂いが彼女の鼻腔を擽った。
 混沌たる空に浮かぶ暗雲が迫ってくるかのような空は、冒険者達に絶望と言う名の影を落とすかのように。メイの足取りは重く、真紅に染まる空が血の色に見えてなお、その歩みは進められる。

【離する心、猛き雄叫びを聞け(リ)】
 いまだ外交さえままならぬ大国がある。以前、リザードマンの領地等を巡り死闘を繰り広げた相手。ソルレオンである。正義を重んじ、その猛々しい様相に違わない性格から頭は非常に固くソルレオンとの関係はいまだに歪な形に留まっている。冒険者の数も増えソルレオンとの力関係ではランドアースが圧倒しているが、平和的解決を望む円卓に冒険者達グリモアガードを主とした交渉が今も続いている。
 ランドアースにはその他にも多数の問題を多く抱えており、多様に増えた冒険者達をもってしても、その全てを賄う事は出来ないでいる。
 交渉時に失敗しグリモアガードの団長が捕らえられた一件から、やや内情は荒れており、ソルレオン側領域はいつも張り詰めた空気が漂っている。
 それが今は更に異常に高まっているようだ。その理由は葦原の古戦場と呼ばれるリザードマンとソルレオンが幾多の戦いを繰り広げた戦場で、戦没者の遺体が、回収されないままに未だ眠っている場所でソルレオンの子供のまだ新しい死体が発見されたのである。それも、ソルレオン側にとって高い地位を持っている金剛の化身・キンカラが長男の死体。それは一昼夜でソルレオン国全体に話は広まり、とうのキンカラの失踪について話し合いが行われたり旧ノルグランドより使者を遣わし状況の把握に努めていた。
 ソルレオンの誇り、ソルレオンの父とも呼ばれるディオンは苦虫を噛み潰したような表情でずっと考え事をしているようだ。その目の前を官僚達が冷や汗を流しながらうろたえている。よほど恐ろしい顔をしているのだろう。
「それでのこのことそれだけを伝えるために、帰ってきたのか?」
 例え真実を告げたとしても、無駄な行動を一切認めないとばかりに、目の前でうろたえる官僚を睨みつける。それほどまでにキンカラとその子供の件はソルレオン側にとって重要視されているのだ。官僚たちにもそれはもう嫌と言うほど伝わったらしく、逃げるように更に情報を探ると言って出て行った。
 ディオンは心の中で独り。
『キンカラはここ最近不穏な動きをしていた。そして、黒服の存在。奴めと接触していたという情報。キナ臭い匂いしかしない。キンカラ、お前は一体何を・・・・。』
 ディオンの表情はその日元に戻る事は無かった。
 その事件が起こる数日前に事は遡る。

 ディオンの屋敷の居間には珍しい客人が迎えられていた。それはキンカラとその息子だった。ゆったりとした長椅子に二人は何か思いつめたような表情で並んでいる。
「突然やってきて深刻な顔をしてどうしたというのだ。」
 ディオンは古い友人に語りかけるように接する。二人には古くからの付き合いがあり、キンカラは表舞台には姿を現さないが、ディオンの本当の右腕といわれるほどの存在である。過去の対戦時も大役を務め見事戦果を上げている武勇にも優れた戦士として認めているのである。そんな友人が困った顔をして放っておけるディオンではなかった。元々儀に固い種族ゆえ一度杯を交した間柄の相手には強い信頼を超える友情を結び、決して解く事がないというくらいである。
 いぜん硬い表情のキンカラが重い口を開いた。
「今、同盟で起きている事件を知っているか?」
 同盟で起きている事件。それはソルレオンには全く関係せず関与しない物。その言葉が出ただけでもディオンは目を丸くした。
「規律を乱す気か?お前ほどの男が忘れたわけではあるまい?」
「最後まで聞いてくれ。我が妻がその事件に関わっているのだ。」
 それを聞いて更に目を白黒させるディオン。ソルレオン一族は男性固体しか存在せず、女性は存在しない。繁殖は奉仕種族の女性を使用している。グリモアの力により、列強の種族の血は他種族の奉仕種族を通して種族を越えた繁殖が行える。ゆえにソルレオンの妻はすなわち奉仕種族。とはいえ、その地位に居る者も国の民として手厚く奴隷ではなく共に暮らす仲間として扱っているためその関係は同一と見ていい。とはいえ、その奉仕種族がましてや今緊張状態にある国外へ出て何かを行うというのは非常に危険である。
「話が見えぬぞ。ちゃんと順を追って話してくれぬか?」
 キンカラの家は代々続く名家であり、ディオン家と共に一国を築いた盟友として、祖国の英雄として称えられている存在の末裔であり、数多くの古き品々を保管してもいる。
 その中に、一際異質な存在があった。
 紫色の真円の石。それは厳重な封印のようなものにより覆われており、それでもなお禍々しいものを感じさせるほどに強い力を放っているものだった。
 過去のソルレオン達が戦ったとされる場所で見つけたものであると言う言い伝えがあり、キンカラの先祖がそれを厳重に屋敷地下に封印したと言う。
「それを求めて、突然黒服の者が屋敷に何処からか侵入したのだ。」
「まさか!この厳重警戒の中、お前の屋敷に猫の子一匹入れるものか。」
 ディオンの言うとおり町中は厳重警備体制がひかれており、猫どころかネズミすら入れない状態といってもいい。一日中ずっと監視の目が町中に行き渡っており、不振な動きをする者がいれば国民とて容赦はしなかった。
「だが、入ってきたのだ。まるで影の中から這い出るように足音や気配を感じさせずにな。」
 三人の間に重たい空気が流れる。その話の続きは更に驚くべきものであった。その黒服はディオンの妻を人質にとり、家宝でもある封印されし石を奪って更にはソルレオン最強とも言われているキンカラを退けて逃亡し、厳重警戒の中人質を連れて何処かへと消えたのだという。
 俄かには信じられぬ話だが、虚偽を嫌う種族。キンカラのその表情に嘘偽りが無い事は初めからわかっていたのだ。無論、警備に不備があったとかキンカラがその黒服に手加減をした等と言う話の方が信じられぬ話である。話の経緯から察するに、キンカラは妻である奉仕種族の女をとても大事にしており、その仲睦まじさは町でも有名であった。いささか幼さが残ってはいるもののソルレオンとしての誇りを父から厳しく躾けられたキンカラの息子は母の失踪を突き止めるために父と共に行く覚悟である。そう、キンカラすら上回る相手だったとしても。
「今、どのような状況下は察している。が、我侭を聞いてはくれないか。」
 ディオンは少しも考えず、答えた。
「わかった。すぐに解決して戻ってくるのだぞ。」

 その日の数日後に一人の国境付近警備隊の一団がその場所でソルレオンの死体を発見した。それがキンカラの息子であるのを確認するには、彼の持っていたキンカラ家の紋章が入った指輪が決定打となった。何故なら、死体の状況は凄まじく、面影どころかソルレオンかどうかさえもわからない状態であったという。
 キンカラの息子であるゆえに、その戦闘力は一般兵のそれを上回り、小隊長としても活躍できるほどの知能を同時に持ち合わせている。その彼がそのような姿で発見されるとはどうあっても信じがたいものだった。
 そして、行ったきり帰っては来ないキンカラの存在。全てが不可解極まりない出来事。同盟諸国との緊張状態であるため、この状況で兵を外へただ一人の為に動かすわけにもいかない。ディオンは激しい苛立ちを押さえるのがやっとである。先ほどのもの達が同盟の人間を上手く誘導できるであろうか。ディオンは席を立つと窓の外を見た。
 遥か東方に紅く燃える炎が見えた。そこは確か、水の都がある場所ではなかろうか。未だ耐えぬ争い。同盟の戦力強化による見えない圧力と見え隠れする侵略と言う名の交渉。はたして、あの場所で起きている事件など、冒険者が集まればすぐに沈静化しまた元に戻るのであろう。確実に戦力をつけている同盟にソルレオンが束になっても、多くの血を見ても大敗するのは目に見えてわかってしまう。
「どうすれば、良いのだろうか・・・・・。キンカラよ・・・・・。お前なら。」
 その場にはいない盟友に声をかけるかのように、外を見つめる目は厳しさを一層増したのであった。

 旧ノルグランド。ソルレオンとの関係を修復維持するためにある唯一のグリモアガード。その外交結果は大きく同盟諸国に影響する。そのために多くの交渉に長けた冒険者達が集い、長きにわたり交渉が続けられた。が、種族の違い、互いの価値観や見方の違いにより交渉は決裂。同盟とソルレオンはいまや決裂状態にある。ノルグランドがあった場所は既に解体されており、その場所にはすでに瓦礫すら残ってやしない。新たにグリモアガードが結成されるとして、現在早急にその作業が進められている状態である。
 緊張状態から決裂して悪化した双方の関係を修復するには長い時間を必要とするだろう。いや、もしくは関係修復などもう無理な話なのかもしれない。種族間の想いの違いは同盟内ですらある。正義を示すにしても冒険者達は己の意思をそれぞれ持つ個であり、全ではない。ソルレオンは個ではなく、全の考えを持つ。それ以外にも様々な要因があり、複雑怪奇な交渉行為は数人の冒険者の不手際もあり、混沌を逸した。
 今では双方の領域に見張り台を置き、互いに見張りあうような関係が更に輪をかけて酷くなってしまった。このままの状況は同盟とソルレオンにとって何も生まないのではないかとも考えられる。しかし、ソルレオン自体は同盟と盟約を結び、グリモアに下らずともその生を全うする事は今までとかわらない生活をすれば簡単なことであり、ともすれば大きな戦があっても今の同盟なら圧倒的数で敵を圧倒して制圧する事も可能である。相手が最悪の手段を持ち入らなければ、いたって頼もしい守護者がいるという状況でもある。だから軍門に下らないというわけではないのだろうが、互いの溝は埋まりそうも無い。
 旧ノルグランド領。その解体された跡に数人の冒険者の姿があった。その周辺にある村からソルレオンの様な魔物が暴れまわっているとの報告を聞いて集まっているのだ。その中には紅い髪の少女とその仲間と思える一団がいた。
 そのソルレオンの情報はソルレオン側からの要請により調べた結果発覚したものであり、旧ノルグランドの護衛士団であった冒険者も数人見かける事が出来る。
「随分と集まっているようだね。」
 ギターを小脇に抱えてノンビリとしたような口調で話したのは紅い髪の少女の仲間の一人。その名も虚無を詠う・ウィン。ワイルドファイアで大切な仲間を失って大きな傷を負ったもののその調子は変わることはない。それが他の仲間を安心させるようで、緊張した空気を和らげる。彼の歌は何時でも誰かの心を癒しているのだ。
「ったりまえじゃないかい。ソルレオン関係となれば、彼らがほっとくわけないだろう?」
 そう答えたのは露出が無駄に多いくらいの服を身に纏った女性である。口調は荒いがウィンや他の仲間に与える印象は何故かやわらかく感じる。前回の戦いで己の中に眠る気持ちを見つけ心境に大きな変化があったからに違いない。しかし、本質はあまり変化はないようで、その服装の趣味は目のやりどころに困るばかりである。それはなぜか、時を得て更に酷くなるような。だが、彼女にちょっかいを出すような男は無事ではすまない。彼女は一級の冒険者であり、その実力は高い。その女性の名を飽くなき探求乙女・マドゥリージュ。彼女は己の体をまるで見せ付けるかのように振舞いながら勝気な笑みすら浮かべている。本当に本質は何も変わってはいない。
 その姿を正視出来ないで後ろを向いたまま少々呆れ気味の女性がいる。背中からは一対の羽が生えており、彼女がエンジェルである事がわかる。腰には剣を帯びておりそれは彼女が冒険者である事をあらわしている。この仲間達と共に行動するようになったのは最近の事であり、短い時間だが彼らの行動は手に取るようにわかり、今では無理なく意思疎通が出来るようになり、互いに信頼できる捨てがたい仲間となった。
ただ、彼女はマドゥリージュの服装のセンスだけは納得いかないらしく、度々注意はしているのだが本人はいたってそれが正常だと主張しており、互いに譲らない。もはや最近は放置しているくらいだが挑発的な態度等には今も目を覆わずにはいられない。少し控えめにため息をつくもその口元は何故か優しい笑みを浮かべている。その女性の名をリディアの護衛天使・プルーフ。グリモアガードより同盟諸国で起きているこの一連の戦いに参加することとなった。戦いの中で感じ取った様々な事を覚えてきなさいという教え。そして運命に出会うという言葉に導かれるように、彼女は進み続けてきた。
「・・・・・・話を・・・・・良く聞いておいたほうが・・・・・・よいと思います。」
 透き通るような声でマドゥリージュたちに言う。ウィンとマドゥリージュも承知して目の前で話を続ける霊査士の言葉に耳を傾けた。今ではプルーフは皆の防波堤役のようになっている。
 そして、紅い髪を持つ少女はどこか別の遠くを見つめるように。部屋のどこでもない、空を見上げているような。
 この場所にたどり着く前に話はさかのぼる。彼女が慕っている年下の勇敢なる少女、天使見習い・ミュシャ(a18582)との思いを頭にめぐらせているのだろう。ミュシャはフラジピルを姉のように想い、または歳は違えど互いに通じるものを感じであってから急速に仲良くなった。そんなミュシャは本当は少女について行きたかったのだ。だが、今回の戦いで一番重要なのはグリモアが眠るユトゥルナでの戦い。その闘いには少しでも多くの力が必要だった。
「フラジビルお姉ちゃん・・・ごめんボクみんなが心配だからユトゥルナに行くね?」
 思いつめたような表情でそれを告げたミュシャは強く少女に抱きついた。少女もそれを暖かく受け入れて。
「わかってるよ。ミュシャちゃん。だから、約束だよ。生きて。」
「うん。フラジピルお姉ちゃんこそ、絶対負けちゃ駄目だからね?」
 しっかりと互いの体温を確かめるように、想いを確かめるように。その抱擁はしばらく続いた。しかし、一刻を争う戦いに、別れを惜しむ時間すらないほどに。ミュシャは涙を堪えて笑顔で手を振りながら戦地へと走っていった。その時の事が頭の中をずっと巡っているのだ。これから自分達も危険な戦いへと向うのに。
「誰も、死なせない。僕は、負けない。」
 拳を握り締め、決意を新たにミュシャと作ったお守りを握り締めた。互いの想いをずっとその胸に抱きあう。そう誓い作ったお守りが少女に力を与えるようだ。
 しっかりと今度は前を向いた少女にもう迷いはない。冒険者として成長し、多くの困難を乗り越えて人としても成長した紅の髪を持つ・フラジピルの目は、紛う事無く先の未来を見据えている。

 作戦の概要は困難を極める。場所はここからすぐ近い場所で一人のソルレオンらしきものが暴れているという。既に数人の先発隊が出発し、騒動の把握及び沈静を図ろうとしたが誰一人として帰っては来なかった。霊査による調べからかなりの力を持っており、新たな討伐対を結成するに至ったわけだ。
 ソルレオンとの関係もあり、敵がもしソルレオンであるとすれば、攻撃して殺してしまった場合、例え相手が悪いとしても、大問題へ発展する事は間違いない。ゆえに、今回の作戦は敵の討伐ではなく、事態の収拾であり、敵ソルレオンらしき存在がそれとわかった場合、傷つける以外の方法で取り押さえ最悪でも殺さないようにしなければならない。が、その凄まじい戦闘力にどうやってそれを行うか、集まった冒険者達は流石に困惑を隠せない。
 霊査によれば、ソルレオンらしきものから、強大な力を感じるという。桜ドリアッドの霊査士・ダストスの霊査によれば、それは邪悪な者が封印されし石。いままで集めてきた神話の世界に生きた魔族たちを封印した石。その力が解放されればこの世界は混沌に帰してしまうかもしれない。それほどの力を持つ石は人の心を容易く乗っ取り操ってしまう。例えそれがソルレオンだったとしても、それを防ぐ手段は無い。
 そのソルレオンが持つ力が石の力をもってしてだとすれば、傷つけずに押さえる事がいかに困難かがわかる。
 石に支配された魔物と戦ったことがあるフラジピルたちは重要な証言者でもある。
 石は確かに人の心を乗っ取り操ってしまうが、本質的な真相意識の中で必ず抵抗を示し、死に瀕した瞬間やそれに似た衝撃を受ける事で正気を一時取り戻す事があると言う。どの件も同じかどうかは確かめようが無いのでいまだ不明である。肝心の封印する石版はフラジピルたちの元には無く、重要戦地でもあるユトゥルナへ向う深緑の癒し手・ユウコ(a04800)が所持している。
 石に触れた者はその力で魅了され、魔物になる事がある。今までの石には力を失い人を操るほどの力が残っていないものもあったが、今回は既に石によって魅了されてしまっている。その石を取ったとして、どうやってユウコの元まで持ち帰るのかも難しいところである。
 今までの戦いの経緯や石の力に付いて細かく戦いを共にする仲間に告げていく。フラジピルはまぶたを閉じて語る。目の裏にまるで目の前でそれが思い起こされる。いくつもの死闘。仲間の死。いつの間にか溢れる想いが涙となって頬をつたう。その光の行く先が落ちる雫が周りの冒険者達へ語りかける。
 そもそも、石の力の源が、グリモアを創りし神々や悪魔の力であると言うのが今の世ではあまり信じられる事ではないのは確かであろう。ランドアースだけでも様々な謎も多く、その真実の姿を知っているものなど居ないのではなかろうか。それなのにフラジピルの実体験はそこに確かにあったわけで、疑う事など出来ないのだ。ユリシアなどが率先して資料化している同盟図書館にその史実は既に保管されている事実であり、全ての冒険者が知れるものであるのだ。とはいえ、百聞は一見にしかずとも言う。体感しなければ得られない事実もあるもの。
 キンカラについての情報はあまり無い。一度会ったとは言え、その後の消息も不明であり、ソルレオン側との情報交換すら間々ならない。しかし、ランドアース側で事件が起きている限り、こちらで処理しなければならない。この事件の裏にはそういった切れそうな糸の上でソルレオンと同盟諸国と言う二つが綱引きをしているのだ。
 依頼の成否は外交の成否にも関連してくる。だからだろうか。あまり誰も口を開こうとはしない。キンカラの息子を惨殺したのは石の力に魅了された彼自身ではないかと言う説すら同盟諸国にはあった。なぜなら、今緊張状態を更に悪化させようなどと言うやからは存在しないと思われているからだ。しかし、それを直接ソルレオン側に申し出たらそれこそ大問題になりかねない。無論、相手もそれを念頭には入れているであろうが。
 重たい空気の中、それぞれ依頼へ行く準備を始めるために各自部屋へと戻っていった。今この時も石の力はキンカラを蝕み続けているに違いない。それを思うと、フラジピルは今すぐにでも宿屋を飛び出たい気持ちでいっぱいである。自分の父親の姿を見ているから、なおの事であろう。その様子を察してか、同じ部屋になっているプルーフが震える少女の肩に手を置いた。
「今は・・・・・・・休む事が・・・・・・大切でしょう・・・・・・・。」
 たどたどしい言葉の奥に潜む気持ちは同じだと、その肩に置かれた手から感じられた。その手に己の手を重ねて。
 浅い眠りの中、それは訪れた。

 闇だった。何処までも何処までも。果たして光なんてこの世にあったのだろうか。己の影すら見えない。己の姿すら見えない。歩いているのか、浮いているのか。前を向いているのか、後ろを向いているのか。何も見えないような深い闇。しかし、そこへ導かれるように。何故か。何故か。
 霧のような靄がかかっているその奥に良く目をこらすと見える。そる・・・れ・・お・・。

 森の中、進む足取りは重く。少しばかりぬかるんだような地面が忌まわしく。普段であればもっと堂々とした足並みも今日はそうは行かないようだ。
 母親の失踪。それは一家にとって由々しき問題である。しかも、屋敷への不振人物侵入後の出来事であるからなおさらであろう。父はそのことについて深くは語らないが、少年は知っていた。ソルレオンの少年は。
 数日前の深夜。あまりにも冷たい空気が少年の部屋を満たしていた。季節的にはありえないほどの冷気が部屋を凍りつかせるような。暖かな空気は瞬時に消え、薄い毛布しかかけていない少年はその寒さに目を覚ました。窓や戸はどこも開いていない。が、その冷気はその部屋を満たすかのように。いや、この屋敷全てを覆っているのではなかろうかと感じてならない。少年は毛布を体に巻きつけ、寒さに凍えながらも母を捜すために部屋の外へ出ようとした。
 しかし、戸を開ける手が何故か止まる。部屋のすぐ外に何者かの気配を感じたのだ。物凄く身近な人間の気配に思えるのに、何故か近寄りがたい雰囲気がドア越しに感じられた。
「お母さん?」
 少年は壁の向こうに語りかける。気配が少し動いた感じがした。
「そこから出ないで。じっとしていなさい。」
 確かに、母の声だった。しかし、まるで血の気を失った何か、そう。アンデット。魂の抜けた抜け殻のような抑揚の無い声。明るく優しい母の声は、そこには無かった。少年は目の前の気配が無くなって、不安に駆られた。そこに父の気配が無いのだ。いや、屋敷にすら感じられない。父や母の寝室は少年の寝室と一部屋しか離れていない。同じ家の中であればいるかどうかはわかる。それが今は何も感じない。今日は何処かへ出かける予定があっただろうか。少年は昨日までの父の言葉を思い出そうとする。しかし、思い当たる節はない。
 母の言葉もむなしく、少年は扉の向こうの気配がなくなってしばらくして、外へ出た。
 床に、濡れたような跡。足を引き摺って歩いてるかのように、二本。それは禁じられた地下室へと続いている。その場所は父ですら入ることをしない場所。厳重に封印を施し何人も入れない様になっている。その地下室へと、濡れた足跡は続いている。少年はそれでも前へ進む。屋敷中の冷気がその濡れた足跡を凍りつかせる。白く床に続く跡は、傷跡のように。そして、その色は赤く代わっていく。真紅の血。
 地下室の扉は開け放たれていた。厳重に施されていた封印。施錠はどの様な力がそこに働いたのか。まるで捻じ切られるように無残に破られている。母にそのような力があるとは思えない。この屋敷を包む冷気に、その実態があると少年は気付いていた。そして、その相手を見たら、自分もただではすまないことも。しかし、その歩みは止められる事はない。地下への階段は急なつくりになっている。その階段を這うように濡れた跡が下へ続いている。その色は紅い。
 冷気は今まで以上に酷くなっていく。少年の吐く息が白く、既に髪の毛が凍り付いている。震える全身を押さえるように、何とか先に進む。危険だとわかるのに、そこに待っているのは己の死をも意味するかもしれないのに、少年は先に進む。母の足跡を頼りに。
 地下室から、聞いた事のない男の声がした。いるはずのない。気配すら感じる事が出来ない男。
「くっくっくっく・・・・・。これで二つ目か。貴様はもう用無しだな。」
 冷徹な声。まるで聞かせる相手ともども凍りつかせてしまうかのような。圧倒的な冷気。圧倒的な恐怖。圧倒的な力。それを感じる。少年の体は既に動かなくなる寸前である。それほどに地下室の空気は凍て付いている。見てみれば辺りが白く凍り付いているのがわかる。少年は自分の体を抱き締める。己の感覚がどんどん希薄になるのを押さえるように。その恐怖から逃れるために。
「一つは陽動で使わせてもらおうか。ふふっ・・・・・。丁度いいのがいるな。」
 その言葉の後、目の前に黒いフードをかぶった男が目の前に立った。少年はまるで氷像のように動かない。男は冷徹な笑みで少年の首を掴んだ。
 暗転する世界。世界は闇から。また闇へ。

 森の中、一人彷徨うソルレオンが一人。何か、待ち人を待つかのようにそわそわと落ち着きが無い。先ほど眠った自分の息子の事が気に掛かっているのだ。先日入った不審者の件もあり、すぐにでも戻りたい気持ちであったが、それを置いても優先したい出来事があった。
 それは、数時間前、まるで取り付かれたような妻の様子。そして、深夜に森で会おうといったあの不審な行動。言動。彼女は屋敷から出たのまでは確認したのに、その後、どれだけ早く走ってもそれに追いつけず、ついに屋敷から随分と離れた場所まで来てしまった。今では妻の姿すら見失う始末。自らの過ちに悔いても仕方ない。辺りから感じられるのは獣の気配くらい。妻の気配など初めからその場所には無かったように。
「俺は、いったい何を追ってきたのだ?」
 自問自答する彼の手に握られていたのは、黒いフードだった。
「屋敷?」
 振り返ると、今まで見えていた自分の家の辺りから、まるでこの世のものとは思えない気配が立ち上がる煙のように。森の中から見て取れるはずは無いのに、感じ取れた。瞬間、キンカラは走り出した。もはや、遅い。そう感じながら。
 暗転する世界。世界は真紅に。花開く薔薇のように。

 屋敷の前には一人の少年が立っていた。右手には何かを持っている。首からは石が首飾りとして揺れている。キンカラにはそれがなんだったかいまいち思い出せない。少年は凍りついた瞳で見つめている。口元には真っ赤な血糊のような紅がさしてある。右手からぶら下がっているものは、果たしてなんだったろうか。
 少年の瞳がこちらを向いた。感情の無い瞳がキンカラの心をも侵食して行く。ああ、そうか。右手にぶらさがっているのは、己の妻の・・・・・・・。
 真紅の世界は瞬時に晴れて、しかし、闇。闇。

 飛び起きたフラジピルの全身は夥しい汗。先ほどまで感じた寒気。それが今も目の前にあるように。今見た夢は、夢か、それとも。
「だとすれば・・・・・・・。」
 まだ息遣いも元に戻らないうち、フラジピルは戦いの準備を始めた。空はまだ、闇に覆われている。
 少女の体には不釣合いな大きい剣を握り締め、大きく息を吐いて呼吸を整えた。
「僕は、僕の出来る事をやれば良い。」
 胸元のお守りをぎゅっと握り締め、決意も新たに自分の泊まった部屋を出た。

【抜かれた魂(ヌ)】
 早朝にもかかわらず、その森は闇に閉ざされる。鬱蒼と生い茂り天高くのび広がる葉が日の光を地上には届けない。密集した木々が全てを隠し、闇を生み出している。木々の根元には生命が息づくのだが、光無き場所には毒々しい色の植物が生き物のように蠢いている。植物たちだけではない。動物達も闇の中、蠢くものはどれも悪意を持っているのではなかろうか。そう思わせる雰囲気が漂う。
 その森の中に、一人のソルレオンがいる。そこはソルレオン領ではなく、同盟諸国の領域である。ソルレオンが好き好んで入る場所ではない。が、そのソルレオンの様子は少し、いやかなり異常である。
 常に吐く息は白く、目は空ろで体は震えているのに焔の様な邪気を感じる。彼の立つ地面はどこも凍りついている。まるで、彼自身がその冷気の元。いや、そのもの。尋常ならざる様子は彼の胸元の石と、両手に持った生首のせいだろうか。
 一つは、彼の妻だったもの。一つは、彼の息子だったもの。首は、どちらも苦しそうな表情のまま凍りついている。当時の記憶をそのままに、時が止まったかのように。
 彼がそれを持っている理由。それは彼自身にも、今はわかりはすまい。己の息に混じる血の匂いも彼自身は気付くまい。森の中動物達を食い荒らしているその思いをわかるまい。
 石は彼の心を凍て付かせた。ただ、何かを貪り食う。それだけのために彼は生きている。いや、これからそれが彼の生きがい。生きる目的。目の前の大木は、地面に生える草は。周りを行く虫は。目に付くもの全てを食らう。しかし石は彼の持っている首と同じものを要求している。そう感じる。
 彼の行く先には、匂いがする。己の欲求を満たす何かの匂い。
 ソルレオン、キンカラはその場所を求めて歩き出した。周りのものを食い荒らしながら、ただ、何かを求めて。

 野営地点は夏場なのにも関わらず、異常なほどの寒気が感じられた。周囲の雑草に霜が降り、凍りつく水溜りすらある状況。時期的に焚き火用の薪など用意してるはずも無く、その場にいる冒険者達の体を凍えさせた。
 その中でもとりわけ寒そうにしているものが一人。どうしようもないくらいに露出の高い服を着た女性が体を守るように抱えながら震える声で文句を言っている。
「ああ・・・・・・寒い!なんだいこの寒さは!な、なんとかならないのかい?!」
 マドゥリージュである。彼女のお得意の色気も、男を引き付ける服装も今この場では無駄意外何物でもない。少しは暖が取れるものがあるかと思いきや、彼女の所持品と装備には一向にそういったものは無く。化粧品などの自分を飾るものしか入っていない始末。他の冒険者は自分の荷物で手一杯であり、他人の暖を補う物等そうあるわけでもなく。仕方なく文句を言いながら耐えているのだ。
「普段から・・・・・ちゃんとした服を着れば・・・・・・・そうはなりません。」
 そう言ったのはプルーフだ。彼女も同じ様に寒そうではあるが、一応マントや厚手の装備のため、マドゥリージュほどではないらしい。普段も気候的には寒暖の差はあまりない地域だけに、今日の冷え込みは近年まれに見る異常気象でもある。普段からといったプルーフもその異常な気温に不安を抱いている。
 同様に、集まった旧ノルグランドの面々も何かの予兆ではないかと噂するものもいる。彼らのグリモアガードがあった場所はここからそう遠くない。彼らの方がこの辺りの気候に関しては詳しいのだ。今回はそれが仇になってしまったとも言える。
「出発の時間が近いから、暖を取ってる暇は無いと思うよ?」
 寒そうにしながらも普段からやや厚手の服を着ているウィンが軽やかに言う。彼の気掛かりといえば、ご自慢の楽器が霜で傷まないか。と言う事でありそのせいか、彼自身よりも楽器を守るための処置の方が厚手であり、楽器に対する愛情は見て取れる。
 そんな騒ぎを横目に、真剣な眼差しで寒さも感じていないかのように、ただ静かに白い息を吐いて目の前だけを見る少女。フラジピルの姿があった。
 集中力が高まっているためか、周囲の喧騒や心の迷いなどが感じられない。他の冒険者達は皆、この難解な依頼をどうやって解決するか。ソルレオンとの内情がどうなるのか。その思いで大きく心が沈んでいる。
 フラジピルは仲間との会話も朝食の時点から何もなく、マドゥリージュはフラジピルの事を気遣っている。普段の彼女なら笑顔の一つ絶やさないはずなのに。マドゥリージュも普段はあまり行いが良くないが、経過してきた経験の数はフラジピルより遥かに増している。普段とは違う空気の中、あまり思いつめるといい結果は出ない。多くの冒険の中で失った物も多く、得た悲しい記憶が思い出される。
 やはり、思い浮かぶのはディムトスの優しい笑顔。ふざけたような態度の中で、ひっそりとフラジピルだけは守る。そう、誓うのであった。
 出発の前に、冒険者達を纏めるリーダーとして選ばれた冒険者が全員の前に立った。リーダーとして選ばれただけあり、寒さや迷い等微塵も感じられない。そういう強い思いを感じる事が出来る。
「おはよう。みんな。」
 大きな声は一番後ろにいるフラジピルたちにも良く聞こえる。空気を通して通る声は、その場所から変わらないかのように。皆の耳に聞こえた。それだけで目が覚める冒険者もいるほどに。
 先日の霊査から新たな情報が付き足された。すぐ周辺の森へ移動したというのだ。森の付近から傷ついた鳥が飛んできた事から解った事だった。その傷は凍傷にも、噛み切られたとも見える。その傷跡は確かにソルレオンのものであると結果が出たのだ。そして、目の前に広がる森を、こちらに向って歩いていると。
 どよめきが走る野営地。すぐに沈めるための声が轟く。
「作戦に変更はない。昨日の通りに行う。各自確認を怠るな。」
 作戦会議は長く続き、日が変わる前にようやく決着をした。
 石の特性を知るフラジピル達は一番後方から、先陣の旧ノルグラ隊が対象のソルレオンを止めている間に、その石を取り除くというもの。
 それまでの戦いを、アビリティーなどの選定もあり、また、その後ソルレオンがどうなるか、同盟とソルレオン側の関係は。その辺りの問答が多く、結論を出すまでに多くの時間を使用した。
 全ては、終った後にしかわかりはしない。それでも聞かずにはいられなかったのだろう。また、会議中ちょっと口を挟むだけで何も言わないものも存在し、その一団はまるで統一した意思のように同じ行動をするという。
 同盟の冒険者は個人で動くものも多い。依頼などでも一人で行動し命を落とすものもいる。旅団の関係で同じ旅団員同士が行動を共にしたがり、連携を無視する場合もある。それは、グリモアガード内とて変わらないようだ。
 リーダーなどは、そういった一部の戦力に関しては邪魔になりさえしなければ放置するという意向のようで、その一団がどう動くかを確認するに留まり、また、執拗に皆とは違う意思を主張し続けた物には、ただ見ているだけでも良いとだけ残した。
 全員が一団となって初めてその力を発揮できる冒険者達。しかし、その思想や価値観は十人十色であり、纏めるのは至難の業。時間がない依頼ではこういった光景もまま見られるようにもなる。
 しかし、その一人一人全てが、光をもたらす。そういう存在にもなりえる。ひとり残る霊査士はそれを信じて疑わない。それは、リーダーも同じであろう。

 時は突然来た。
 歩き出した冒険者の前方からいきなり衝撃波が襲ってきたのだ。その衝撃波のせいで数人が後方に飛ばされ、統率は一気に崩れる。
 リーダーは声を荒げて体制の回復を叫び、前方に注意をしつつ、後方のテントを見やる。そこには霊査士がいる。霊査士は戦えない。戦闘力をまるで持たない。先ほどのような攻撃がまともに霊査士へ命中すれば、それは死を意味する。霊査士を守るのも、冒険者として、リーダーとしての定め。
 剣を抜き、目の前に広がる暗黒の森を凝視する。別名、黒桔梗の森と呼ばれ、数多の魔物が存在し数多くの腕試しをする冒険者達が入りそして帰ってこなくなった場所。その奥から冷気が吹きすさぶ。
 衝撃波の第二波は別の形で現れた。
 冒険者達がリーダーの声にあわせて体制を整えていたその時である。纏まりつつある一陣に邪悪な鎖が巻きついたのだ。鎖は多方向から伸びており、術者の場所を選定できない。
「この力・・・・・・石の力ですね・・・・・・。」
 プルーフはなんとかその暗黒縛鎖から逃れていた。マドゥリージュにウィン、フラジピルも辛くも攻撃をかわす事に成功したようだ。
「プピとか言う奴の力に似ているねぇ。確かに。しかし範囲が広すぎるんじゃないかい?」
 マドゥリージュはすかさずフラジピルの前に盾のように立ち、周囲を警戒している。もはや寒さなど感じていない。彼女も腐っても一流の冒険者。戦いの時の集中力はたいしたものである。
「鎖の位置が多方向からじゃ相手を特定できないね・・・・・。さて、歌でおびき寄せれるか。」
 ウィンは楽器を布から取り出し軽やかに歌いだす。それが吟遊詩人の攻撃手段でもある。己の楽器が武器となり、敵の位置に関わらず周囲にその影響を及ぼす事ができるのだ。範囲10メートルと限られているが、目測からそう10メートル以上は離れていない場所にいる事はわかる。無論、アビリティーの常識での範囲だが。その常識を覆すのが石の力。とは言え、その行動は無意味ではない。
 ウィンの奏でたファナティックソングは巨大な音波となって、美しく残酷な旋律は森に潜む対象の体を蝕む。
「ウィン!そんな技使って相手は大丈夫なかい?」
「うーん・・・・・。まあ、それほど威力は無かったみたいだよ?」
 言うと、森の一部からまるで今現れたかのように、ソルレオンが一人。何もなかったかのように立っている。暗黒縛鎖は体内から鎖を出すアビリティーだが、彼の体からは何も出ておらず、周囲の森から鎖は放たれているのだ。
「森と・・・・・・・同化しているのでしょうか・・・・・・・?」
「プピと、同じ?いや、なんか違うねぇ。」
 プルーフとマドゥリージュは周囲の森へ何かいないか集中して気配を探ってみる。邪悪な気配は目の前にいるソルレオンから感じられるが、周りの森からもそれと同じ様な雰囲気は感じる。
 キンカラは鎖で縛られて動けない冒険者たちへ走った。
「いけない!」
 フラジピルがそれをいち早く察知して走り出す。マドゥリージュはしまったと思った。自分が周囲に気を配っている間に、フラジピルから注意がそがれてしまったのだ。
 キンカラの動きに反応できたのはもう一人、リーダーも駆け出していた。互いが双方から挟むように、なんとか間に合う距離である。同じ近接攻撃を主とした前衛職。己の信じるものは剣とそれを使う自分の力のみ。
 フラジピルは巨大な剣を豪快に鎖ごと切り裂くようにデストロイブレード奥義を放った。反対方向からはリーダーがソニックウエーブ奥義を近距離から鎖を通り抜けながら叩き込んだ。
 キンカラを完全に殺すような事は出来ないが、石の呪縛から開放するにはそれなりの力を持って攻撃しなければならない。手加減の一切効かないアビリティーでありながらも、それを気にかけなければいけないのだ。
 だが、そんな二人の想いなど、あざ笑うかのように。キンカラはその攻撃を受け止めている。体には剣が当たっているのにも関わらず、傷一つ付いていないのだ。
 特別に鎧等をまとっているわけでもないキンカラは、体がむき出しの状態である。のにも関わらず、剣による攻撃がまるで効いていないのだ。
 それならばと、冒険者達の中で鎖の呪縛から逃れた数人が遠方からブラックフレイムやエンブレムノヴァで応戦する。そのアビリティーが発動したのを見てフラジピルとリーダーは後方に一旦退く。
 派手な爆音とともに、周囲の鎖も吹き飛んだ。縛られていた冒険者達も何とか体制を建て直し、その場から離れて攻撃態勢に移る。
 立ち上がった煙の中から不意に光る矢が数本どことも言えない場所へ放たれた。ホーミングアローの力である。アビリティーの力を使った光の矢は弧を描きながらただ一箇所を目指して飛んでいく。野営地のテントを目指して。
「いけない!」
 リーダーは必死にキンカラにも目をくれず一心不乱にテントへ走る。無論、間に合う距離ではない。
 そのリーダーの後ろから新たに今度は邪悪な炎が飛び出た。ブラックフレイムであろうか。フラジピルは近くにいたものの、煙の中からの攻撃に一瞬行動が遅れブラックフレイムはリーダーの背中を直撃した。
 それと同時に数人の冒険者が戦闘で気絶した霊査士をテントから救い出し逃げようとするも、ホーミングアローの行き先は変える事ができない。霊査士には直接被害が無かったものの、抱えた冒険者は重傷を負ったようにみえる。
 煙の中からは無傷のキンカラが傷を負ったリーダーに向っていく。それに対応できるのは数人の冒険者とフラジピルのみ。他は傷を負った冒険者の回復と霊査士の避難で手が出せない。マドゥリージュたちもその前線まではどうも間に合いそうも無い。ウィンはなんとか走るよりも歌でフラジピルを守ろうと歌いだす。
 フラジピルは誰よりも早くキンカラの背後を取った。キンカラの手がリーダーに伸びる寸前で間に合う事ができた。
「もうだれも死なせはしないんだから!!」
 目前にリーダーもいるから派手なアビリティーは使えない。とはいえ、この距離から剣でおもいきり斬り付ければ動きくらいは止めれると思ったのだ。
 フラジピルは全身の力を込めてキンカラへ巨大剣を振り下ろした。が、キンカラの背中でまるでそこに触れることの出来ない壁があるかのように、剣が動かなくなるのだ。よく見ればフラジピルの全身に触手のように木々が絡みついているではないか。その束縛は暗黒縛鎖に似ている。しかし、アビリティーの発動本体はキンカラから行われている。森が、キンカラの一部となっているかのように。
 被弾したとは言え、寸前で致命傷をまぬがれ後衛の範囲回復でなんとか回復できたリーダーは即座にキンカラとの距離を取りソニックウェーブを放った。鎧を無視して肉体を斬れるアビリティーならと考えたのだ。
 周囲の空気を切り裂く音と共にキンカラを確実に捕らえた。鈍い切裂く音が響き真っ赤な鮮血が迸る。だが、次の瞬間には周囲の木々などがその欠損部分にまとわりつき、そして瞬時に傷が塞がっていくのだ。まるで肉体に吸収されているかのように。
 後衛の術師が絶え間なくキンカラにアビリティーを次々に与えて行くものの、どれも目立った効果は見られない。
「周りの木だよ!あれがあいつの養分になっちまってるんだよ!」
 マドゥリージュは肩で息をしながら今までの戦いで得た結論を言った。それが解ったからといって、周りの森は無尽蔵にあり、どうにも八方塞であることには変わりない。
「植物を見方につける・・・・・・。まるで・・・・・・。」
 ウィンも歌い続けて疲れている。そんな彼の脳裏に浮かんだのはアーポンとディムトスを失ったあの戦いの時の敵が思い浮かぶ。
 周囲を焼き尽くすような力。それが今一度必要なのだろうか。またあの悲劇が繰り返さなければ目の前の敵を倒せないのだろうか。
 周囲の木々が暗黒縛鎖のみを使うだけに留まっている事から、周りの怪我人はそれほどいるわけではない。が、敵の異常な耐久力の前に、アビリティーを使い果たすものが続出し、普通に斬っただけでは無意味な状況が続いている。これでは消耗戦は確実。確固たる決め手さえあれば。やはり、あの石のせいだろう。
 石が怪しく光る。キンカラの口元から、何事か呟きが聞こえてくる。
「腹が減った・・・・・・。」
 キンカラが手を伸ばすと、周囲の木々が反応して数人の冒険者を暗黒縛鎖で縛りつけた。そして、その内の一番近い場所にいる冒険者に向って歩き出す。無論、この間もアビリティーや直接攻撃やらでの応酬が続くが、キンカラには全くの効果が得られない。
 その冒険者はエンジェルの医術士だった。周囲の回復に貢献し誰よりも駆け巡った女性。縛られた彼女は痺れて動けず、なすがままである。キンカラはおもむろに口を開けると彼女の腕に噛み付いた。文字通り、噛み付いた。
 周囲に甲高い悲鳴が木霊する。そして、血しぶきとともに、骨を砕く音が聞こえた。
「あ、あいつ、食ってる!?」
 誰かの声がする。そう。キンカラはその女性をむさぼり食い始めたのだ。すでに彼女の上腕あたりまでが損失しているのが見て取れた。
 フラジピルやマドゥリージュ、プルーフら10人ほどの冒険者が一陣となってキンカラに己の全ての力を使って武器をキンカラに突き立てる。数本の剣がキンカラの肉体を切裂くが、その部分はまたもや周辺の森から触手が伸び、肉体に吸収されていく。さらに、その部分にソルレオンとは違う肌色の皮膚が混じる。そう。女性の腕から新たな細胞が構築されているのだ。
 捕食されている女性は既に意識を失い、重傷を遥かに越えたダメージを負っている。他の医術士たちの回復などでは手に負えない状況になっている。
 フラジピルは剣を何度も付き立て、触手を薙ぎ払い、何とか力の源となる石をキンカラから取り除こうとする。
 大きい手がフラジピルの顔面を掴んだ。
「フラジピル!!」
 マドゥリージュが声を張り上げてフラジピルを掴むキンカラの腕を切り落とそうと何度も斬り付ける。他の冒険者もそれに乗じてキンカラの腕に攻撃を集中する。そのかいあってか、キンカラの腕からフラジピルは何とか脱出する事に成功したが、捕食されている女性はまだ捕らわれたままである。
 キンカラはそこで女性を自ら解放し、背後で自分を攻撃している冒険者へ振り返る。
「くっくっくっく・・・・・。」
 不気味な笑みを浮かべると、周囲の木々が彼を包み込み、まるで木の鎧となる。その直後である。その肉体からありえない量のブラックフレイムが全方位に放たれたのだ。
 瞬時の事にまったく反応できない冒険者達。邪悪な炎の前に、戦況は燃えつくされていく。
 そのブラックフレイムの全方位連射は止まる事無く、だが、その代わりにキンカラを包む木々たちが枯れ果てていくのが解るが、それを確認できる冒険者は残り少ない。
 かろうじて距離をとりつつ、なんとか凌いでいても、かなりの傷を負い、逃げ惑うので精一杯な状況。すでに捕食された女性の安否すら確認できない状況になってしまった。
 フラジピルはなんとか逃げながら自分の認識の甘さに悔しくて仕方がなかった。これだけ多くの戦力をもってして、相手の能力の異常さに太刀打ちできない。それどころか、全員の生命の危機。石をはがせばいいだけと、それがどれだけ困難な事なのか。
 一撃の暗黒の炎がフラジピルに直撃する。
「きゃあぁああぁっ!」
 吹き飛ばされながら、フラジピルはついに意識を失った。

 歌?
 歌が聞こえる。
 優しい歌。
 歌が聞こえる。

【累々たる屍を越えて(ル)】
 勇猛の聖域キシュディムのグリモアガード本拠地がある場所から北の砦エルドールのほぼ中央にある拠点に、一人の翔剣士が立っていた。性欲をもてあます・メリシュランヅ(a16460)である。その背後には彼を健気に追って付いてきた平穏なる日常の担い手・マクセル(a18151)がいる。そして、望む北方には真っ黒に染まった大地が見える。いや、よく見ればそれら一つ一つがアンデットであり、整った陣形を保ちながら進み、太鼓を打ち鳴らす姿は脅威でしかない。
すでにアンサラーの先鋒舞台は崩されており、地獄からやってくる他部隊の対応でこちらには手を貸せない状況である。エルドールからも軍が出発しているが、この戦地にたどり着くまでには戦いはこちらの負けに終る予感がする。それほどに彼らの足は速く、今夜中にもキシュディムの最前線と交戦が予測され、早急に部隊の立ち上げが行われている最中である。
 空の戦いの後もたらされたこの戦い。ランドアース全体を覆いつくし、世界を混沌の渦に沈ませるほどの力を感じる。今までのどの闘いよりも困難かつ負けてはならない戦いである。
 メリシュランヅは空から帰って来た時にその話を聞き、すぐに自分から名乗りを上げた。
「ならば、俺がそちらに趣こう。」
 まるで用意していたかのような言葉だった。その言葉に誰もが驚きを隠せなかった。危険な戦いに一人、例え多くの冒険者も参加するとは言え、今まで行動を共にしてきた仲間と離れて行動するとは。一番気が気ではなかったのがマクセルだった。共にユトゥルナへ向うと思っていた矢先の彼の言葉だけに、困惑を隠せない。
 今までの奇怪な行動は身を潜めまるで別人のような感覚さえ窺える。
「誰かが行かねばならないからな。それから、マクセル。後でちょっと付き合ってくれないか?」
 言うだけ言うと彼は自分の部屋へと戻っていった。マクセルは不安な気持ちと、己の気持ちが心の中で大きく。メリシュランヅと後で会ったときに伝える事が出来るだろうか。
 出発前夜。
 旅団から少し離れた場所にあるちょっと小高い場所に一人月を眺めながら待ち人を待っているのはメリシュランヅ。己の気持ちをもう一度確かめるためなのか、じっと腕を組んでただ佇んでいる。
「メリシュさん・・・・・・・。」
 控えめな声でやってきたのは、自分の本当の気持ちを伝えるためやって来たマクセルだった。
「闘いに行く前に、君に話しておきたい事がある。」
 振り向いた彼の顔は何時にもない優しい笑顔。それはまるでこの後起こるであろう物事を全て理解して何かを伝える時の表情にみえる。そう。それは覚悟をした者の表情。
 今までの戦いの中、彼をずっと見守ってきたような気がする。戦いの中で垣間見る普段の姿とは違う姿。その姿は大きくマクセルの心を動かすのに十分だった。もし、今何を言われても自分の想いだけは伝えたい。両手を胸の前で祈るようにしながら、彼の声を待つ。
 メリシュランヅは一度下を向いて懐から何かを取りだし、その場に方膝を付いてまるで騎士のように。ちょっと照れたような表情で一輪の花をマクセルに差し出す。夜でも映える闇のように、しかし優しい色をした。黒薔薇の一輪。彼の密かな想いがその花から伝わってくるような。マクセルはそっと受け取ると大事そうに胸元で抱える。
 メリシュランヅはゆっくりと立ち上がると、真剣な眼差しでしっかりとマクセルの瞳だけを見つめて。ゆっくりと口を開いた。
「俺の本当の気持ちを伝えたい。君が。俺は、マクセル。君が好きだ。」
 すっと風が吹き抜ける。今、目の前の彼はなんと言っただろうか。マクセルの言いたい事を聞きたいことを言ってくれた。胸の奥でつかえていたものがすっと消えていくと同時に、心の中が満たされたような。自然と悲しくもないのに涙が溢れてくる。
 メリシュランヅは流れる涙を人差し指でそっと拭い、そっと傍によりマクセルの肩に手を置いて。
「君に、俺の傍にずっと居て欲しい。マクセル。」
 見上げる瞳は星空のように輝き。マクセルは笑顔でメリシュランヅを抱き締めた。
「メリシュさん、有難うございます。私もメリシュさんのそばにいたいです。ずっと、ずっと・・・・・・。」
 夜風が二人を優しく包み、そのまま夜は更けていった。
 次の日には旅団に二人の姿はなく、一通の置手紙を残して戦いへと向ったのだった。

『最前線陣営テント』
 作戦に集まった者は有志を募ったものや護衛士団も合わせて170名にも及び最前線では各小隊隊長を集めて作戦会議が開かれていた。無論その中にメリシュランヅの姿も見受けられる。また、戦力的に護衛士団をも上回るのではなかろうかとも思える旅団からも数多くの冒険者が集っている。円卓の間で見かける面々の姿がちらほらと見える。孤立無援かと思われた闘いだったが、世界を巻き込む事態に流石に冒険者が黙っているわけにもなく、勇気あるもの達がこの戦いへと趣いてくれたのだ。
 最前線の陣営がある場所はエルドールとキシュディムの護衛士団所在地の中央やや北北西を拠点とし、さらには最終防衛地点と定めている。それより先に進まれれば討つべく冒険者がいないからでもある。なぜならばユトゥルナでの作戦、東のソルレオン問題、北の他アンデット問題。抱える事件はいくつもあるからである。
 陣営から更に北北西に徒歩で3日ほどかかる場所付近に敵陣営はおり、昼夜問わず進軍をしており、早ければ明日の昼にでも会戦の恐れありとみてキシュディム軍指令薄明の霊査士・ベベウ(a90103)は大至急確小隊長を招集し緊急作戦会議を行っているのである。
 メリシュランヅは自分の知人である冒険者等を集めて遊撃小隊を結成した。自分は纏まった小隊で動くより少数での奇襲を考えているのだ。それが戦線にどれだけ有利に働くかはメリシュランヅたちにかかっている。
 キシュディム護衛士団のベベウは霊査士の中でも特に優れた推理知識や推察力観察力に優れており策を建てるのも評判がある。作戦に集った冒険者も数多くの作戦を得た猛者が多く、様々な案が盤上で飛び交っている。
 敵大隊は陣営的には乱れているもののその数は総勢400とかなりの数であり、森の中でも黒く蠢いているのが解るほどである。
陣営が乱れているのは総大将の命令系統が崩れているからでもあるが、アンデットの当初の目的が同盟諸国や敵である人々を己が仲間のアンデットとするためであるから、動き的には凶悪さが増したとしか言いようがない。
つまり、纏まっていたものが暴れながら進んでいるのだ。元々が性質が悪いので余計に手のつけようがなくなったといえる。そうなれば乱戦は必死であり、こちらの策が向こうにとって都合の良いものになる可能性もある。つまり、纏まっていない相手を纏まって叩くとそのうちばらばらになりかねない。すなわち、その崩れた場所への戦力強化及び敵陣営撹乱のためにも少数でもあれそういった遊撃目的の隊が入る事は有利に働くのである。が、戦い方一つでそれも徒労に終る可能性もあるわけだが。
 戦線状況を見てきた忍びの冒険者達の報告からすれば主力はやはりゾンビジャイアントの大集団であり、彼らの中には人の言葉を理解し他アンデットを集結指示しつつ、あるものは指揮を高めるために鼓舞の太鼓を打ち鳴らしているという。最前線である野営テントであるこの場所にもすでにそのけたたましい音が響き渡ってきているのだ。
 更にはノスフェラトゥーの冒険者数名も隊に紛れ込んでいるらしく、その存在が作為的なものを感じており、やや不気味さをましているといえる。そのノス冒険者のなかに実力者、すなわち七本槍ほどの強さを誇った者がいるとすれば、こちらもただではすまないからである。特に戦闘力も高く、以前のノス戦争でもその脅威は恐れるものであり、一人のノス冒険者にすでに多くの冒険者の命が失われている事実もある。
 メリシュランヅが募った何人かの冒険者達は皆それぞれなかなかの武勲を上げているものであり、その戦力から護衛士団一小隊分ほどに当たるのではないかと推測し、このノス冒険者を中心に撹乱討伐を命じられたのだ。
 彼はその結果を聞くなり作戦会議の行われているテントを後にした。

 数多くならぶテントの一つに、一際賑やかなテントがあった。メリシュランヅが集めた冒険者達が集う大型のテントである。
 何故か中央にちょこんと座ったマクセルを取り囲むような形で話が盛り上がっているようだ。
「へぇ。あのメリシュランヅに好きな人がねぇ。それもこんなに可愛い人だなんて。」
 軽口で皮肉を込めてメリシュランヅにではくマクセルに向って言っているのはまるで踊り子のような井出達をした少女の冒険者である。年のころならマクセルとあまり変わらないであろうか。明日の本戦の為に用意した彼女の得意とする短剣を片手でもてあそんでいる。それが彼女の癖でもある。
 その女性はメリシュランヅと以前彼がまだ駆け出しだった頃からの腐れ縁でもあり、付き合いの長さで言えばこの中の誰よりも長い。今では別々の場所に旅へでて久しぶり過ぎる連絡に腹を立てての言動でもあり、久しぶりに帰ってきた旧友が相棒やら恋人やらを引っさげて目の前に現れたのだから心中穏やかではなかったのだろう。
「リヴァティー・・・・・。もう勘弁してくれないか?」
 殆ど隅に追いやられて談笑の中から阻害されていたメリシュランヅが重い口を開いた。何故なら今の今までかなり多くのことをしかも作戦とは関係ない話をさせられて心底心労がたまっている状況なのである。
 リヴァティーと呼ばれた踊り子の冒険者。よく見れば彼女のお尻の辺りから猫の尻尾が生えているのが見て取れる。その特徴的な尻尾から彼女がストライダーであるのがうかがい知れる。詩人なのであろう。楽器を大切に抱えている。
 メリシュランヅの恨めしそうな目にお手上げのジェスチャーで返すリヴァティーはどこか満足げだ。
「ま、リヴァティーの気持ちもわからんでもない。何せずっと連絡もなかったのだからな。」
 苦笑いがそのまま板に付いたような表情で言ったのは無骨な鎧と強固な鱗に覆われた体を持つリザードマンの戦士である。屈強なリザードマンにしてはどこか暖かな雰囲気が彼からは感じられる。彼の頑丈な皮膚と更に上回る全身を包む強固な鎧は今まで砕かれた事がないという。背負っている大きな盾から彼が重騎士であるのが窺える。
 どっしりと構えて皆を優しく見守る彼は今までもそうだったのか、皆を纏めるリーダー的存在のようだ。リヴァティーから言わせれば、堅物と言われている。本人は得意の苦笑いで返すだけで否定はしない。ようは、お互いに確固たる信頼関係があり、性格を知り尽くしているからこその軽口。
「私もゼノンさんの言う通りだと思うなー・・・・。お兄ちゃんってばホント駄目な人だね。マーヴェラはマクセルおねぇちゃんが心配です。」
 リザードマンの重騎士をゼノンと呼んだ自分の事をマーヴェラと名乗った少女。メリシュランヅの事を兄とは言っているが、似ているわけではない。深い付き合いからそう呼ぶようになったのであろうか。マーヴェラはドリアッドの医術士であり、外見的には少女の姿をしているもののやはりメリシュランヅとの付き合いはながく実際年齢は不明である。ドリアッドやエンジェルは外見が歳を得ても変わらないことから年齢を推測するのは困難である。まあ、それを気にする者はこの中には一人もいないわけだが。
「まぁまぁ。それ以上言ってやるな。メリシュなりに色々考えがあっての事だろうしな。」
 ちょっとばかり重くなった空気を掻き分けるように皆を止めに入ったのは今まで苦笑いを浮かべるだけで話には入ってこなかった戦士である。その装備からどちらかと言うと狂戦士に近いかもしれない。が、彼は列記とした戦士である。
「色々な理由ってどんな理由なんだい?ソード。」
 リヴァティーが戦士に向って言う。戦士の名はソードと言うらしい。
 聞かれたソードもやや困惑しながらも、色々は色々だよ。と、言葉を濁した。
「まあ、しばらくぶりに会ってみれば危険な任務にご同行とくれば、文句の一つも出るというわけだ。」
 ゼノンはメリシュランヅに指を刺してそう言い放った。
 二の句も告げないメリシュランヅはやや困り果てているものの、それも自分の招いた結果だと思いただひたすら謝る事しか出来ないでいる。
 終始自分の知らないメリシュランヅを見てマクセルもどうも自分の居所を探す始末。見かねてマーヴェラがそれまでの話を手を叩いて、ここまでにしましょう。と言って今までの経緯などを明るく楽しく語り始めるのだった。
 ソードなどはフザケ半分でその物語をメリシュランヅ冒険記と名をつけたのだった。(メリシュランヅ冒険記参照)
 本来は作戦会議なのだろうが、これも悪くはないかもしれない。などと感じながら、その物語は夜遅くまで語り続いた。

【ヲトメの戦い(ヲ)】
 早朝。森は深い霧に包まれていた。夜空の星空は厚い雲に覆われ星一つ見る事ができない。だが、恐怖の旋律なら聞こえてくる。もう目の前に迫っているのが感じられる。腐敗した強烈な匂いと、獣の雄叫び。腹に響くように轟く太鼓の音が浅い眠りについていた戦士達を現実世界へと舞い戻した。
 見張の者が戦いの笛を鳴らす。
 既にキシュディム軍は戦闘体制万全の整えである。最後尾に並んだ牙狩人が一斉にナパームアロー奥義を発動する準備にかかり、さらに専制攻撃として紋章術士と邪竜導士医術士がアビリティー発動のため詠唱を始めた。
 目の前の巨木がなぎ倒され、醜い体をしたゾンビジャイアントが姿を現す。
「放て!!」
 怒涛のように押し寄せるアンデットの軍団に怯む事無く全ての矢、アビリティーは目前の標的へ向かって行った。
 激しい爆音と共に前線の戦士達が斬り込んで行く。濛々と上がる煙の奥から新たな敵が姿を表す。それも四方八方から攻め寄ってくる。既に前線部隊は囲まれていたのだ。
「始まったか。」
 ゼノンが額に冷や汗を浮かべながらしっかりと盾を握りなおした。目の前に広がる乱戦はどうみてもキシュディム軍の不利と映る。後方支援部隊は前線部隊が包囲されたゆえ、しっかり機能しなくなってしまった。敵の圧倒的物量にほぼ何がどうなっているのかすら理解が難しい状況である。
 まだ日の昇らないうちの接触は予期していたものの、是ほどまでの戦力は想像を絶するものがあり、キシュディム軍側の戦意を喪失させるのに十分なものがあった。
 当初の見込み通りノス冒険者と見られる少数の部隊が別行動を取っているのが見える。
「あれだな?そろそろ行くか?メリシュ。」
 ソードがメリシュランヅを見ないで言う。目の前の戦況に飛び込むために気持ちを集中しているからだろうか。
「まだだ。やつらの行動からするに、後方で回復を担当する医術士班を壊滅する狙いが見て取れるが、どうもわかり安すぎる。」
 確かに、一直線に医術士等のいる後方支援部隊へ向かっていることから目的がはっきりしているものの、裏があるように見えてならない。とはいえ、この乱戦状況の中医術士が潰される事によるリスクは火を見るより明らかである。見れば既に一部の医術士小隊がノス冒険者の存在に気付き移動を開始し回復に専念できないでいる。
「メリシュさん。あれではもう・・・・・。早く行きましょう!」
 マクセルがメリシュランヅの腕を取って引っ張る。
 見れば血が滲むほどに唇を噛み締めて辛そうな表情をしているではないか。
「お兄ちゃん・・・・・。」
「そうだな。酷いようだが、まだ時では無いかも知れない。今入ったところで・・・・・。」
 マーヴェラとゼノンが言う。目の前で繰り広げられる乱戦はそうしている間にもすでにキシュディム軍の姿がどこにあるかすら解らない状況へ悪化し、支援部隊の離散による物理的壊滅が見て取れる。しかし、よく見れば流石キシュディム軍。乱戦の中でも敵を中央へと追いやりつつ、包囲網を崩してなんとか体制を入れ替えつつあるのだ。
 キシュディム側の損失はやや大きいが、一旦優勢に出た戦士達の実力は計り知れない。
 メリシュランヅは剣を抜いた。遠くの空がやや青みがかっている。日の出が近い。
「マクセル。しっかり付いて来るんだ。離れずに。」
「・・・・・はい。」
 その言葉に皆も武器を抜いて駆け出す準備を整えた。
「声を上げて叫べ!敵の声に負けないくらいに。そして、止まるな!敵を一直線に突っ切るぞ!!」
 剣を高らかに掲げ、マクセルの手を取ってメリシュランヅは坂を駆け下りた。
 大きな声が木霊しながら下っていく。いくつかのアンデットの目がこちらに注がれた。が、それはマクセルのナパームアロー。アンデット共は避けることもままならないでその爆発に飲まれる。次の瞬間にはソードの流水激が追い討ちをかけ、それでも倒れないものにはマーヴェラが慈悲の聖槍を打ちつける。メリシュランヅとゼノンはその中から叫びながら目的のノス冒険者を探し当てた。
 メリシュランヅのチキンスピードとゼノンの鎧聖降臨の力そしてリヴァティーの高らかな凱歌で三人は守られている。叫び声に気付いたノス冒険者がとっさに武器を振るうも、それよりも速くそれよりも硬く。そして強烈な一撃を見舞いながら駆け抜けた。
 一団の行動は功を相したらしく、キシュディム軍は一気に敵一陣を包囲する事に成功した。
「よし、駆け抜けたらもう一度行くぞ!」
 しかし、目の前から更なるアンデットの一団が迫ってくるのをその目で見た。そう。先ほどの一団はただの一部に過ぎず、さらなるアンデットの部隊が後ろに控えていたのだ。
 数は先ほどの一団よりは少ないように見える。しかしこれが部隊と合流したらはっきり言って敗退は免れない。後方のキシュディム軍も苦戦を強いられているが、あのまま行けば勝利する事はわかる。が、目の前の部隊を相手にする余力が残るかは微妙であろう。メリシュランヅは振返らず目の前を見た。
 ゼノンは早速それを察知して全員に鎧聖降臨を施し、メリシュランヅもチキンスピードをかけなおす。リヴァティーは一歩後方にさがり、何時でも凱旋を歌う用意。マーヴェラもそれに続く。ソードは戦士らしく一歩前に出て流水撃を放つ構えを取った。
「やらせるわけにはいかないんだ!」
 巨木が倒される。目の前には巨体が並ぶ。ゾンビジャイアントはエモノを見据えた目で。己の体から骨を突き出していく。後方からは腐った息を吐き周囲の空気を毒に変えていく。
 マクセルがナパームを打ち込んで空気ごと吹き飛ばそうとする。しかし、ゾンビジャイアントたちは己の体で防ぐように。その攻撃はただ爆発しただけで被害を与える事は出来なかった。
 ソードとメリシュランヅゼノンが一気に飛び込み斬りつけるものの周囲の攻撃の雨になかなか上手く立ち回ることが出来ない。少しの傷は承知の上で剣を振るう。
 空が、やや明るくなってきた。
 周囲の空気が、朝靄が日の光に照らされて周りの状況が見て取れるようになってきた。
 地獄。
 地獄とはよく言ったものだ。
 キシュディム軍は優勢だった。いや、優勢だったはず。メリシュランヅ達が新たな敵陣に気を取られている間に、立場は一転していた。
 何故なら、倒されたキシュディム軍はどれも、敵へ取って代わり今まで共に戦った仲間を殺そうとする敵へと変わっていたからである。
 仲間の剣を避けきれず、仲間を切り捨てられず、戦線はまさに地獄絵図と化している。
 実力の上では勝っていたのだ。しかし、現実を見れば結果は明らかである。
 日の光に照らされて映ったものは暗闇に満ちた現実。
「まだだ!まだ負けられない!」
 再び叫び、剣を振るう。メリシュランヅたちもすでにばらばらになってしまった。後方のゾンビジャイアント部隊がこちらに合流したのが痛かった。幸いといえるだろうか、マクセルだけは傍に居て、傷はあまり見受けられない。ゾンビたちの腐肉のせいで正直なところはわからないが、疲労さえしてるものの大きな怪我はしていない様に見える。が、その本人は・・・・・。
「メリシュさん!退きましょう。もう勝ち目はありません!」
 マクセルが涙ながらに言う。その理由。
 既に盾を捨て、剣を両手で持たなければ。手の握力すらなくなりそうだ。視界に見えている敵はどれほどいるだろうか。
 メリシュランヅの体は立っているだけでも不思議なほど傷ついている。後方からの回復がなくなり、守りながらも戦ったが、多勢に無勢。満身創痍のその体はもう戦える力などないに等しい。
 戦える力のないものには興味がないとばかりに、周囲を蹂躙しながらゾンビジャイアントたちは南方へと足を進める。キシュディム軍の声もしばらく聞こえてこない。それどころか、友人達の息遣いすら感じられない。
 ついに剣を地面に突き立てて崩れ落ちるメリシュランヅ。支えるようにマクセルがしっかりと抱きかかえる。
「リヴァティーさん、マーヴェラさん、ソードさんゼノンさん!返事をしてください!」
 まだ近くに居て欲しい。出来るなら、無事を確認したい。敵は自分達に興味をなくして進軍している。周囲を見渡せばゾンビたちの死骸。そして仲間達の死骸が見て取れる。
 その場に泣き崩れるマクセル。メリシュランヅは殆ど意識がない。そして、一人見えた。ゼノンである。
 壮絶な最後だった。
 彼は終始マーヴェラを守りながらもう一度皆と合流しようと必死だった。医術士であるマーヴェラを目指してやってくる敵の数は他の者よりも多く、敵の数に埋もれながらも良く戦った。
 マーヴェラを逃がす事だけを考えて。己の体にいくつの鋭い骨が刺さろうと、どれだけ毒を嗅ごうとも。二本の足で立ち、剣を振るい、盾で守った。5匹のゾンビジャイアントに囲まれ、マーヴェラを後ろに突き飛ばし、逃がしたところで、彼の息は止まった。彼の鎧はゾンビジャイアントの骨に砕かれ、突き刺さり。盾を構えたまま絶命したのだ。
 マーヴェラは今もなお逃走から合流へ転じようとして走り回り、その姿を見ることは出来ない。
 その反対方向。ゾンビたちの群れが移動した場所に、リヴァティーとソードの姿が見えた。二人はまだ生きているようである。向こうもこちらを見つけたらしく、傷ついた体を引き摺るように向ってきた。
 よく見ればソードもメリシュランヅ同様激しく消耗しており、全身に夥しい傷を負っている。既に意識がない状態である。リヴァティーも満身創痍だが、なんとか一人くらいは背負える体力が残っている。ソードもまた、リヴァティーを守るために壮絶な戦いを繰り広げたのだろう。
 しばらくして、マーヴェラが無事合流を果たし、動けるものは乙女三人だけとなってしまった。
 キシュディム軍の様子はようとして知れず、敵はゆっくりではあるが確実に南下し続けていると言う。あれだけの損害を負いながらも、敵陣は半壊したに留まり、その数はそれほど減っていない。それは、こちらの冒険者がアンデットとしてその軍団に加わっているのが原因であろう。
 完全なる敗退である。
 こちらに不備はなかった。が、敵の圧倒的物量に同盟がやられるとは。
 その現状に、誰も動けるものはいない。
 マクセルは何とかゼノンを横にさせ、目を閉じさせた。変わり果てたその姿に、誰も口を開こうとしない。
 あの得意の苦笑いは、もう見れないのだ。

 しばらくして、朝日が真上に昇り、昼間となった。キシュディム軍の生き残りがなんとか立ち上がり戦況を確認している。
 重傷者多数。死者不明。行方不明者(アンデット化を含め)。大いなる敗退。
 戦いを続けられるものなど、その中には居るはずもなく、ただ傷を負ったものの手当てだけが黙々と進められ、比較的元気なものは死んでいった冒険者をアンデット化しないように。焼くしかない。
 その炎が、きっかけだったろうか。
 燃え上がる火が原因だろうか。
 それとも匂いだろうか。
 20体ほどのゾンビジャイアントが踵を返して戻ってきたのである。
 キシュディムで動けるものも、女性が多い。
 大切な仲間。大好きな人を守るため、乙女達は武器を取った。
「メリシュさんに今まで守ってもらってた。今は、私がメリシュさんを守る番ですね。」
 疲れ果て、泣きそうな気持ちを笑顔に変えて。横たわるメリシュランヅに微笑む。構える弓矢に今まで以上の力がこみ上げてくる。そう。互いに想いが通じているから解る。それが力になるんだって。
 リヴァティーとマーヴェラもそれに続き武器を振るう。すでにアビリティーの力は底を尽き、己の力のみで目の前の強敵と対峙しなければならない。数で言えばこちらの方が多いとは見えるが、全員傷を負ってアビリティーもない状況。苦戦は必死だった。
 ここ一番で強い心を持つのは女性だと言う。その言葉通り、大切なものを守る彼女達の力は普段よりも遥かに強い力を放っている。
 メリシュランヅの腕が動いた。
 夢だろうか。
 見えるのは、マクセルの姿。
 泣いているような。それでいて微笑んでいるような。
 手を伸ばしても、届かない。
 行かないでくれ。俺は。
「マクセル!!」
 立ち上がれる状況ではなかった。でも、その体は動いた。目の前のゾンビジャイアントの突き出した骨がまさにマクセルを狙っている瞬間。
 自分の唇を噛み締め、血が吹き出ても堪えて走った。
 両手で骨を掴み、己の体でそれを受けた。
 衝撃でマクセルにぶつかる。
「え?メリシュさん!?」
 マクセルは目の前のゾンビジャイアントを屠り、次の敵を見定めていて、そのゾンビジャイアントには気付いていなかった。
 メリシュランヅは左上腕部に骨を突き刺されながらも、己の剣を相手に突き刺し、仕留める事が出来た。
「マクセ・・・・・ル・・・・・よか・・・・・・た・・・・・。」
「め、メリシュさん!?へ、返事をしてください!メリシュさん!!」
 笑顔で倒れる彼の吐息を感じられない。
 突き刺さった場所は肺に近く、急所ではなくとも、非常に危険な場所。
 青ざめて叫ぶ。マクセルの瞳から輝きが失われていく。
 そして、さらなる敵が引き返してきた。
「まさか!?」
 マーヴェラが恐れをそのまま口にした。先ほど南下して入った部隊が何を思ったか引き返してきたのだ。
「もう、終わり・・・・・・か・・・・・。」
 リヴァティーは言いながらも自分の楽器を手にした。
 口ずさむ歌。
 歌。
 歌が聞こえる。
 懐かしいような。
 歌が聞こえる。

【我、絶対的存在(ワ)】
 多いなる力。グリモア。その全てを手に入れたとき、神にも勝る力を手に入れることが出来る。絶対的存在。
 しかし、遥かなる昔。古の神々の時代。
 グリモアに代わる力を創造して封じ込められた悪魔の存在。
 7人の巨大なる悪の力を封じ込めし玉。しかし、神々の力に封じられた。
 だが、最後の封印の前に石版と玉は分離し、地上の何処かへと散らばっていった。
 グリモアとは違い、移動する事もできる強大な力。
 それは今までも各地で大きな影響を及ぼしていた。
 だが、長き年月をかけ、その力は衰退し。ただの石へ戻るものもあった。
 が、再び7つの石が集いしとき。復活すると。石が告げた。

 手元に一つの石が握られている。元々は二つあった。が、一つは面白そうなソルレオンに与えた。今頃大いに暴れている事だろう。
 不敵に笑う男。黒いフードをはおり、背中からは暗黒に染まった翼が。
 彼の周囲は常に凍て付いた空気が流れており、触れるものを凍らせるほどである。それは石を手にしたときから更に強大になっている。
 左右に付き添うようにいる二人の黒フードの者ですら翼の男からだいぶ離れた場所を歩いている。
 普通なら、石を揃えるのが目的だったはず。しかし、彼は一つの石に魅入られてその強大な力に虜にされて我を失っているのだ。
「この力さえあれば、同盟など恐るるに足りん!」
 高慢に言い放ったのは、暗黒の氷・ヨシュア・ヘルディナール。以前はもっと策略家であり、冷静沈着。冷徹で非道な面を持ちミュントスで恐れられていたのだが、今の彼はどうだろうか。己の力に驕り誇示し、見せつけ。ありとあらゆるものが朽ち果てるのを見て楽しんでいる。
 彼の胸元で光る石が原因だと言う事はすでに後ろの二人も理解はしている。が、どちらにせよ滅ぼすものを滅ぼしている行動ゆえ、行動を共にしているだけである。
 そして、従わなかったとき自分がどうなるかがわからないからと言うのが大きな理由でもある。
 それほどにまで凶悪な存在となった彼を止めるものなどいるだろうか。
 そんな彼らが向ったのは美しい湖に浮かぶ美しい都市。水上都市ユトゥルナ。
 同盟諸国の重要防衛地点としても、各近隣諸国との友好の街としても名高く更には美しい町並みと水面に浮かぶ姿が観光名地ともなっており、ただその景色を楽しむだけにやってくる冒険者もいる。
 かつて、そこには一人の凄腕の戦士がいた。まだユトゥルナがただの水辺の町だった頃。それはかつての大戦よりさらに時をさかのぼる。そう冒険者という存在すらまだ少数だった時の話。
 同盟と言う概念もなく、周辺とも少数の者による貿易のみに留まる外交だけ。そんな小さな町に一つの事件が起きていた。死者の国と言われる場所より男がやってきたのだ。
 目的は無論グリモア。しかしその報酬は永遠の命を提供すると言うものだった。死者の国が与える不死。それが何を意味するのか当時の人々には知る由もなかった。平和で素朴な町の人々はその言葉に普段なら見向きもしなかったであろう。その不気味なほどに輝く丸い石がなければ。
 輝く真円の石。それは地獄にもたらされていた。厳重に保管されその真なる力が解放されしその時まで。高慢なる地獄の民には相応しいその石の到来は突然だった。地獄の見張り番であった当時まだスリムであったザンギャバス若殿下が地上との唯一の門へやって来た時だ。突然開く事がないはずの門が音もなく開き小さな石ころが転がってきた事から始まる。
 その石ころこそが、高慢なる力を持った悪魔が封印されし蒼き光り輝く高慢なる真円の石。それが手に入った地獄は歓喜に沸いた。闇の魔王の時代にいた本当の悪魔の存在。その力の意味するものはまさに殺戮の大地だとそれをもたらしたザンギャバスこそ本当の王に相応しいと。
 しかし、その後石の力を解放する術もなくさらには当時の地獄に地上へ攻め入る力もなくただただ持て余すだけに留まっていた。そしてその後の研究から石が地上の人々の眠る欲求を導き出しさらに増幅させ強大なる戦力へ変えるかもしれないという事が解ってきた。駆け出しのザンギャバスは名声を得ようと考え、一人のノスフェラトゥーに石を持たせユトゥルナへ派遣した。それは地上の人々へ地獄の存在をはじめて知らしめる事となる。が、それも時を得て裏の歴史に消え逝く。それも一人の戦士の力によるものだと。
 戦士の名は、ヨシュアと言った。この時まだ発見されていない種族エンジェルの翼を背中に生やした青年。彼はその町近くにある森で傷だらけの姿で発見されたという。過去の記憶もなく、自分が何者かもわからない。ただ一つ解る事。それは、己の背中にある一対の純白の羽。自分と周囲の人々との違い。それは自らが違うものであるという認識を嫌でもしなければならない。町人も突然現れた翼の生えた青年に対して様々な憶測が流れ、しかしヨシュアはなんとか溶け込もうと努力し、持ち前の性格か。数年のうちにそのような噂話などはされなくなっていた。
 しかし、彼はエンジェル。周囲の人間が老いていくのに対して何年経っても姿顔変わらず、以前のままの姿に、神の使いではないかとすら言われるようにもなった。
 そんなある日の事だったろうか。地獄の使者がその町に訪れたのは。
 ヨシュアはすでに町の人から慕われるほどになっており、その怪しげな男を迎えたのも彼であった。
 その男の胸元には一つの石がネックレスとして飾られていた。自分以外の町人はその首飾りだけを凝視するように見つめている。いや、虜にされている。大人から子供まで。あらゆる町人がその首飾りに飛び掛らんばかりに。
 しかし、その視線を受けながらも、その石は高慢かつ冷徹な冷たい空気を放つ。まるで、己こそがこの世で一番の存在である事を誇示するように。周りの人間はてすべての生き物に対して。それが中に眠る高慢なる悪魔の仕業であることなど、この中の誰一人として知る者はいない。首飾りをしたフードの男意外は。
 ヨシュアは特別だったのだろう。エンジェルの土地には過去から伝わる石があり、伝説があったからなのだろうか。それとも彼に何かしらの特別な力があったのか。それはわからないが、その石に対してなんら特別な感情はわいてこなかった。
 周りの反応が危険なものと判断したヨシュアは男を連れて町の外へと向った。無論、石に魅入られた町人たちも付いてこようとするものの、ヨシュアが大きな声で一喝しこの場に残るように言うと不思議と全員がその場に留まったのである。
 これより先は諸説あり、見たものもいないため、ヨシュア本人が書き記した日誌に大まかな概要が書かれているだけである。その日誌によると、その後。
 ヨシュアは何かしらの取引をその男と交し、その男は去った。帰ってきたヨシュアの胸元には石が飾られており、さらに、それには全く魅力はなかったと言う。町人達などは、石に取り込まれていた事実すら忘れているしまつ。さらには男が来たことすら曖昧にしか覚えていないのであった。
 その数週間後。アンデットの軍団がその町に攻め込んできたのだ。そう。先頭はあのザンギャバスが勤めた初の地獄からの宣戦布告。後に歴史から消え去るのは、日誌によれば。やはり石の力によるものだと。
 戦いの全ては記されてはいない。ただ、その日全ては凍りついたとされている。
 巨大な魔獣が現れ、全てを凍て付いた世界へと変え、魔獣は姿を消し、大いに負傷したザンギャバスがその亡骸を石ごと地獄へ持ち帰ったのではないか。とされている。事実は今では知るものが誰もいない。
 解っているのは、ヨシュアと言われるノスフェラトゥーのエンジェルが今まさにユトゥルナへと死を運ぶ死神として歩き向っていることくらい。
 今のユトゥルナの人々にそれを知る者はいないだろう。
 ただ、凍りついた場所が溶けた後、その日誌を見た冒険者が現ユトゥルナに残した言葉がある。
【我、絶対的存在】と。

【帰りを待つその人の為に(カ)】
 ☆Tao☆旅団には重く暗い空気が漂っていた。食卓に残された二通の置手紙がその原因のようだ。
自分探しの旅をする者・ユイシィ(a29624)などは蒼月鋼鉄鳳凰覚醒武人・シオン(a12390)の残した書置きに顔面蒼白の状態で心ここにあらずといった様子。もう一通は☆Tao☆旅団長ユウコが目を通している。それはメリシュランヅとマクセルが残した書置きだった。どちらかと言えば、内容的にシオンの書置きがそうとう危険な内容なわけで。その手紙には、一人でユトゥルナに赴き、戦ってくると言うものであった。
「一人でヨシュアに立ち向かうのは無茶すぎるぞシオン!」
 苦い顔を隠そうともせず何故か湧き出た碇にも似た感情をあらわにして言ったのは黒紫蝶・カナト(a00398)である。相棒であるメリシュランヅがマクセルを連れて行ってしまったことも少しはその怒りに影響しているのかもしれない。
 生野菜・グリーンユウ(a23820)の雄叫びが何故か木霊している。ユイシィがどうも今の現状にどうしてよいかわからず、とりあえず近くにあった鞭でグリーンユウをしばいていれば何か思いつくかもと言った理由で無抵抗なグリーンユウをとりあえずキャベツの千切りを披露するかのように叩き続けている。どうも、音が野菜を切り刻むような音にも聞こえなくはない。
 殺迅姫・ルルティア(a25149)はリディアの手痛い目にあった借りを返したい一心で次の闘いにも参加すると言い旅団に足を止めてくれた。ユイシィの混乱ぶりに少々呆れながらも、そのくらいにするのじゃ。と、ゆっくり諭すようにユイシィをとめるのだった。
 奥の調理場では砂漠の魔術師・フィリオ(a08867)が久々に旅団へ足を運んだと同時に作戦への協力を申しだされ、更には緊急の食事の用意までもをする事となってしまった。
「なんだか、こういう役回りが多いきがしますねぇ」
 言いつつもちょっと楽しそうに調理を続けるのであった。
 盾の誓詞・ヴェイド(a14867)は今もアルビナークで若い冒険者達の訓練を行っている。既に大戦への準備は整っており、すぐに出発できるまでとなっている。とは言え、全員が訓練育ちの冒険者であり、混乱する乱戦は未経験である。それだとしても、彼らは勇敢に戦うことであろう。
 旅団の窓から外の景色が見える。ユトゥルナの方向には白い靄がかかっているのが見える。旅団に戻ったときに世界の剣・チャチャ(a26705)から聞かされた。ヨシュアたちミュントス七本槍の生き残り3人がユトゥルナへと向かっていると。そして、方々での戦。休む間もなく続く戦いの音。それはまるで世界の終わりを意味するかのように。既にこの戦いで命を落とした者も多く、ただの一旅団だけの事件では終わらせられない事態となり、いまや同盟全体が力を合わせ、この危機を乗り越えようと言う声が強くなってきたのだ。
 だが、冒険者達が動く前にミュントスは動き出した。痺れを切らしたとでも言うのだろうか。地獄の第一層の戦力全てをつぎ込むかのような軍団を地上に送り出してきたのだ。それを討伐に向ったのがメリシュランヅとマクセルである。その軍団には最前線グリモアガードである破軍の剣アンサラー、北の砦エルドールそして勇猛の聖域キシュディム護衛士団が既に精鋭を引き連れて向っているという。メリシュランヅたちがたどり着く頃には丁度キシュディム辺りまで進軍しているであろうと言われている。
 その護衛士団の監視網を破ってユトゥルナまで南下したヨシュアたちは難なくユトゥルナの門を文字通り強引に開け、セイレーンとの外交グリモアガードでもあり、有力な護衛士団が集うそこを壊滅させようとしているのだ。話によればそれは数日のうちになされるであろうという。
 それも石の力在ればこそ。
 そして、もう一つ。闇の石を持つクラリィスの存在。こちらにはすでにメイが一人ではあるものの、現地付近の冒険者やグリモアガードと協力して見張るために向っている。
 ユウコの手に握られている石版の輝きが今までにも増して大きくなっている。まるで共鳴を起こしているかのように。さらに、中心に輝く円の中に石の場所を示す点が今は一つを除いて一箇所に集まっているのだ。その一つと言うのは無論現在フラジピルやミュシャの向っている旧ノルグランドである。
 心配事だらけで心の休まる暇もないが、それは誰も同じ。そして、戦う力を持っていないユトゥルナを初めとする町人達は更に心穏やかではないであろう。ユウコはもう理解していた。この戦いを最後にこの石の力を封印する事が出来なければ、その先に見えるものが何であるかを。
 ユウコが軽く手を叩いて皆を旅立ちの間へと集めた。
 全員が集まった前で。ユウコは目を閉じて様々な出来事がそこに浮かんでは消えていく。そして、傷つき倒れていく仲間の姿がそこには映されるのだ。何度。何度夢にそれが出てきたことか。しかし、戦わずしても、そのビジョンは現実のものとなる。それは負けを意味する。最善を尽くし、被害を最小限に抑えるだけでも、それは価値のあることではないだろうか。悲しむ顔が一つでも少なくする事が出来るのではないだろうか。自分達意外にも、今まさにこのときも戦っている人たちがいる。それは、子供にも、大人にも、老人にも。握り締めた手に、熱いものが流れる。噛み締めた唇が色を変えるほどに。
 顔を上げたユウコには、普段の優しい顔ではなく、怒りにもにた表情が浮かんでいた。本当の戦いを前にしたその表情が団員達にも伝わる。
「これが・・・・・・最後になるかも知れない。けど・・・・・・戦わないと、本当に終わりなの。」
 一筋の涙が頬を伝い落ちる。それを手で拭う事もせず。潤う瞳からはそれでも、涙をそれ以上流す事はない。戦う気持ちを、手に感じる血の熱さに変えて。
「一緒に、皆戦っている!お願い・・・・・・力をかしてくださいっ!!」
 その声は旅団全体に響いた。心からの叫び。今までにない団長の声に、☆Tao☆旅団員全てがその場に集ったのだ。今までグリモアガードの仕事に行っていたものや他旅団の手助けに行っていたものその全てがこの場に集結したのだ。その中には本当に久しぶりに見る顔もいる。この時のために力を温存していたとでも言うかのように今は戦う力に溢れている表情をしている。
 その全員を代表してカナトが一歩前に出る。そして、血の滲んだユウコの手を優しくとり、力強く頷いた。
「行こう。この戦いを終わらせる事が出来るのは、俺たちだけだ。」
 石版に石を全て封印しなければ、この戦いは終らない。一つでも欠ければそれは終わりを意味する。こちらにはまだ石版と言う切り札がある。強く他の石に反応するそれが、戦いの決め手になるはずだ。
 カナトの決意した眼差し。そして、それに異論なく戦うことを決めた旅団員達もユウコに頷いた。
「ありがとう・・・・・・・。行きましょう。先に出たシオンも待ってる。」
 旅団員達は一路ユトゥルナへと向かい進んだ。
 間近に感じられる夏場には不釣合いなほどの冷気。少なくとも一日はかかるこの場所まで肌を通して理解できる。これは、全てを凍てつかせ、全てを終らせるほどの大きな力が其処にあるのだということを。
 行軍は重く。湿った大地がまるで引き止めるかのように。
 途中、雨は雪へと変わっていた。
 旅団は静かだった。そう。
 その日、☆Tao☆旅団には人一人居なくなった。

【世の終わりに(ヨ)】
 空には雷雲が広がり、その下の大地には凍て付いた大地が広がっている。この状況を地獄と言って間違いはない。いや、それ以上かもしれない。そこにはかつて、水上都市がありそれは美しいものだった。今はどうか。まるで氷のオブジェにも見え、そしてそこに住む人々の氷の彫像が立ち並んでいる。しかし、それは像ではない。現実に冒険者や街の人間達が凍りついた姿なのだ。
 そこは、ユトゥルナ。セイレーンとの外交目的やグリモアの守護を目的として作られた護衛士団の拠点でもあり、重要な貿易を行う場所である。そこが、たった数日のうちにこのような姿になるとは誰が考えただろうか。
 凍りつく彫像を蹂躙して歩く巨大な魔物がいる。首には蒼く光る石が首飾りとして飾られている。その魔物の背中には一対の黒い翼が生えている。そう。数日前までヨシュアと呼ばれていたミュントス七本槍の一人だ。この街にはもう二人七本槍が来ている。タコ・ヘイとヒサマ・コである。ヨシュアについてきた二人ではあるものの、見境のない行動に二人はたまらず別行動で目当てのものを探っているのだ。
「邪魔な冒険者達を始末できるとはいえ、これじゃ俺たちも危ないくらいだ。」
 タコ・ヘイが呆れたように呟いた。仲間にすらこのような事を言われている。いや、すでにヨシュア本人は仲間とすら思っていないと考えられる。目に見えたもの全てを凍らせて破壊して、己のその力を見せ付ける事に快楽を得ているただの殺戮機械となってしまった。
「確かにね。だけど、是だけの被害をだせば、きっと次の戦争は楽になるんじゃないかな?」
 凄まじい状況の中でもノンビリと冷静な態度でヒサマ・コが言った。確かに、重要拠点を破壊してしまうのは地獄としてもこれからの状況を有利に運ぶ事が出来ると言うもの。北で戦闘を続けているミュントス軍の動きも良いとあれば今こそこの期に乗じて同盟の制圧に乗り出せるやも。そういう考えが出てくるのだ。
「それもそうか。とりあえず、目当てのグリモアを探索する。ヒサマ・コはあいつを見張っててくれ。いざとなったら、やるしかあるまい。俺たちの本来の目的は、グリモアの奪取なのだからな。」
「わかってるよ〜。仕事熱心だねぇ。タコ・ヘイは。」
 ノンビリとした対応を待つ事無く、タコ・ヘイは一瞬のうちにその場から消えていた。素早い彼のことだ。すぐに在り処を見つけることだろう。ただ、心配なのはタコ・ヘイには盗み癖がある。お宝ではなくても、盗んでコレクションする癖がるのだ。その悪い癖のせいで幾度も作戦に遅れを出した事もある。自分自身も遊びが過ぎるとよく言われる。
「たまにはちゃんと仕事するかなぁ。」
 言葉にしてみてもきっと誰かが見ていたら、それは急いでいるとは思えない行動だろう。ゆっくり、何事か考えるような。その胸中を知るものなど今となっては彼自身だけかもしれない。
 ユトゥルナは既に変わり果てた姿になっていた。あらゆるものが凍りつき氷の彫像となっている。その異様なほどの巨大な力。魔族と言う存在がいかに強大で恐ろしいものなのか。それを伺い知れる。それでなくとも、ヨシュア一人の力でさえ暴走すれば何が起きるか解らない所に予測不能の石の力が加わったのだ。
 これだけの変化があって、むしろ足らないくらいではなかろうか。
 この有様をみて、はたして勇敢なる冒険者、いや、愚かなる冒険者達がどれほどここに進軍してこれるであろう。
 見えるのだ。
 是は世の終わりを告げるモノであると。
 感じるのだ。
 是は破滅以外をもたらす事はないであろうと。

 ユトゥルナが凍りつく数時間前。アルビナーク傭兵詰所。
 そこにはまだなりたての若い冒険者達と、そしてそれを始動訓練していたヴェイドが最後の作戦の確認を行っていた。
「本当に、これが最後になるかもしれないね。」
 そこからでは見えるはずのないユトゥルナをまるで見ているかのように絶望した目をしたダストスが言った。
 彼は霊査士としての実力を更に高め、今では同盟中でも有名になり彼を頼ってアルビナークを訪れる者も少なくないと言う。ただ、今は各地で起こる一連の戦争に終止符を打つべく、この戦いに全てを注ぐつもりのようだ。
 それでもなお、全ての力をもってしても、霊査士としての能力なのか、それともそれ以上の何かがあるのか。今まで数多くの死線を掻い潜ってきた稀な霊査士としての経験からか。
 まだ熟練を積んでおらず、実践なれしていない若い兵士の行く末が見て取れるのだ。
 そして、それが解っていたとしても、自分の力ではその闘いが終るのを見守る事しか出来ないのだ。
 いくつ、命が失われようと、いくつ、絶望に打ちひしがれようとも、彼は見なければならない。
 それが、霊査士というものなのだ。
「ええ。ですが、何もしないまま負けるわけには行きません。これは同盟だけでなく、この地に暮らす全ての生命を守る戦いでもある。そう感じるのです。」
 ヴェイドが変わらぬ意志を更に示すかのように、落ち込むダストスの右肩に手を置いた。
 彼の目にも見えていることだろう。
 ユトゥルナの変わり果てた姿。そして、地獄のような最中。多くの命が散っていくのを。
「それでも、戦わなければならない時がある。それが今だと思います。」
 ヴェイドはそれだけ言うと、アルビナーク傭兵詰所を後にした。
 多くの若者達の雄叫びの後、静かな街に一人。ダストスは何時までもその進軍を見送っていた。
 せめてもの手向けと、今はなき天の神に祈りを捧げ。

 同時刻。同盟諸国緊急円卓会議室内にて。
 その場は荒れていた。すでに話し合いの域を超えていたとも言える。
 周辺で起こる様々な脅威。一つの旅団から始まった事件が、このような結果を招くとは、一体誰が予想できたであろうか。かつて、旅団一つにその運命を託した円卓の主、ユリシアでさえ今のこの戦争には自らの予想の範疇を超える出来事であり、さらにこれほどの被害を蒙るとは思ってもない事態であった。
「これで何もしないと言うのはまだ同盟を結んではおらぬが、友好的な種族との貿易問題、そして、我が同盟諸国全ての破滅を意味すると思うのじゃが?」
 大好きなどろりとした桃の飲料の飲み残しを握りつぶしながら誰かが言った。
「今更な話だがな。すでにもうユトゥルナは壊滅状態だというではないか。風の荒野フェイネルや勇猛の聖域キシュディムの護衛士団長らが決断して即時に軍を組織して進軍していると聞くが、他各地で起こっているアンデットの強襲により、それも困難だと聞く。今こそ、我らのような旅団が立ち上がり、敵を討つべきではなかろうか?」
 かつて、そして今も勇猛を誇る六風旅団の団長が力強く言った。すでに自分も護衛士団よりの招集が掛かっているのだが、それにもまして、今をもって動かない円卓側に物申すとやってきたのだ。
 それと志を共にする旅団長等が数多く押しかけ、大手旅団の枠を超え小規模の旅団までもが集まりすでに円卓会議室内外にまで人が溢れている状況なのだ。
「これだけの冒険者が思いを同じくする。今までになく、感じるのだ。同じ思いを。ここにいる、いや、今も戦っているもの全ての冒険者から。」
 ユリシアの答えは決まっていた。
 もはやこれは一旅団で解決できる問題ではなく、全ての命をかけた大きな闘いである。
 ともすれば、地獄側の戦力を削減するだけでなく、しばらくの間沈黙させる事もできる。無論、その結果同盟側の損害も考えねばならないが、このまま見ていたとして、見える未来は一つだけ。
「わかりました。」
 一呼吸置いて、ユリシアはまるで念じるように己の鎖を持って祈った。
 金色の髪がなびくと、そこに、何かが浮かんだように見えた。白い何か。だが、今の冒険者達にそれを見ることは敵わない。が、いずれ手にするものであると感じるもの。それが目の前にある。
「同盟全ての者に対して、聖戦の発令をします。」
 聖戦。
 それは同盟がまだ初期の頃。
 それは史実に記されない、円卓長のみに許されし力。
 それを発動したとき、全ての冒険者は恐れを感じず、痛みも忘れ、ただ目の前の敵を滅するために戦う。
 肉の壁となり、骨の剣となってもなお、更に、アンデットとなろうとも、キマイラとなろうとも、それは実行される。目の前の敵。地獄の軍団を滅ぼすまで。
 目の前の白い綿のように見える何かがはじけた。
「私がこの力を使うのは、これを最後にしたいものですね・・・・・。」
 誰にでもなく、自分に言い聞かすように。
 それは発動されたのだった。
 ユリシアの口から、歌が歌われる。
 それは冒険者の心に響く、懐かしいような、悲しいような、奮い立つような、不思議な歌。
 それは、世界中に木霊する、聖戦を告げる聖なる歌。
 歌。
 歌が聞こえる。

【誰そ常ならむ(タレソツネナラム)】
 誰とて、不変ではない。常に変わっていくものである。それは冒険者とて同じ事。
 戦いを好まず、平和を望み、動物達や森と共に楽しく暮らしていた毎日も、それは不変ではない。
 状況は全ての事象は絶えず変化し、周りをも動かしてそれはやがて大きな波となる。
 波のない静かな池に、小さな石が落ちただけで広がる波紋のように、それはかつて無いほどの大きさで、揺れ動き変動する。そう。それは、戦うという心を人に持たせるに十分なほどの変化。
 不変などない。それを示すかのように。変わり果てたものがある。
 そして、だがしかし、変わらないものもある。
 冒険者が、冒険者たる所以。
 闇に光る真円の石を首から下げたクラリィスもかつてはミュントスの一冒険者であり、同盟を、人間を憎んでさえいた。今それを思い出してなお、それを救おうとユトゥルナに向う自分。
 かつてはその恨んだ人間だったという事実。そして、自分の持つ石に精神を乗っ取られた自分と同じ境遇を持つ、目の前の魔物をみて、思ったのかもしれない。
 戦わなければ。
 何と?何のため?
 答えはわかっている。
 何よりも自分のため。そしてそれは、目の前で凍りついた彼。そしてその原因を作った自分と同じくかつては普通の冒険者だったヨシュアを、救うため。
 人として、冒険者として真に覚醒したわけじゃない。人を憎む気持ちも持ち合わせ、更に、首から伝わる闇の魔族の力も感じている。しかし、それすら変わっている。
 過去、世界を震撼させ、神々をも圧倒した闇の魔族。それは石の中にあって地上に落ち、ダズの胸元にいる間に大いなる変動が起きた。
 心を失ったダズの、空っぽの隙間に闇は溶け込まなかったのだ。
 それは、ヨシュアの持つ石とて同じ。それは、変動。不変は終る。
「ダズ・・・・・・私、わかったの。自分が何者なのか。」
 凍りついた愛すべき人を抱き締めてクラリィスは言った。
「自分は、ミュントスの冒険者。ヒトのノスフェラトゥー。そして、闇の魔族。」
 胸に飾られた石を手に取ると、石がそれにこたえるかのように、クラリィスを闇で包む。
「私は、冒険者。私は、ダズを愛する女。私はヒトを憎む女。私はヒトを愛するノスフェラトゥー。光を宿した闇の魔族。」
 クラリィスの姿が変わっていく。
 かつて美しかったその姿は、そこには無かった。
 ユトゥルナに、2体の巨大な魔物が降り立った。
 冷気を放ち、高慢なる力を伝え続ける魔物。
 闇を放ち、光を灯した力を示し変える魔物。
 誰も不変ではない。
 歌も、不変ではない。
 歌。そう。歌。
 ダズが好きだった歌。クラリィスの聞いた子守唄。ヨシュアの聞いた天子の歌。
 その全てが混ざり合い、変動していくような歌。
 聞こえる。
 聞こえる。
 歌が。
 歌。

第五話:崩壊・完。


マスター:メリシュランヅ背後
作戦結果:混沌として闇に包まれ不明。
死傷者行方不明者重傷者:戦闘中につき、計測不能。

第六話に続く。